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2010/09/02

「絵」のこと

新しくオープンする「dragged out studio」で、初日の9月3日(明日)一日だけの展覧会をすることになった。そのためにここのところ夜はずっと「絵」を描いている。「デザイナーが絵を描き始めた」という話が僕はあまり好きではない。日々の仕事もあり今はとにかく時間がないのでここにも詳しいことが書けずにいるがとにかく「デザイナーが絵を描き始めた」のではないということだけは書いておかなければならないと思い大急ぎでそのことだけ書いておこうと思った。9月3日の展示が終わったらこつこつと続きを書き始めてみようと思う。

2010/07/18

「デザインを考えない」

『デザインを考えない』っていう本を書く話が2年くらい前からありましてですね。でもつい考えてしまうのでなかなか作業が進まないのです。それでここに何か書けばちょっとは進むんじゃないかということを思いつきました。なので始めてみます。

「デザインを考えない」なんて言ってる時点でもう考えてるわけですからそもそも最初から矛盾してるんじゃないかと言われそうですよね。でもそうじゃなくて最初に何を思ったかというとこういうことなんです。僕は仕事でデザインらしきことをやっていてその時にはもちろんいろいろ考えます。でもその場合デザインのことを考えているわけじゃありません。雑誌をデザインする際には雑誌のことを考え書籍をデザインする際には書籍のことを考えています。フライヤーでもパンフ レットでもポスターでもパッケージでもロゴマークでもウエブでも何でもそうです。デザインのことだけを切り離して考えるようなことはしません。つまりデザインのことを考えている時間というのはデザインをしていない時間なんです。

いいデザインのためには明快な言語化が必要だという人もいます。しかしもしそうだとしてもデザインのすべてが言語化できるわけじゃありません。デザインには言語化できない部分が必ずあります。デザインしている最中に起こっているのは時間軸を伴う運動のようなことですし言語に担える部分というのは一部でしかありません。

知性というものに知識人型と職人型があるとすれば職人型のほうに属する部分。「暗黙知」とか「身体知」とか呼ばれてきた部分。そんなふうに呼ぶこと自体が知識人型の知性に属しているわけですが。しかしこういう言い方もできると思うんです。かつての職人は文字通り「黙って」「黙々と」行動していた。「からだでおぼえる」ことが基本中の基本だった。しかし現在進行形で「それがすべてである」ような分野があるのかどうか。「ない」とは言い切れませんがここで「ある」と言ってしまうと不可解な神話のようなものを起ち上げてしまうだけでしょうしそれはそれでまたやっかいな問題を孕みますから「それはもうないんじゃないかなあ」と言っておきます。「今も大事な部分ではあるはずだけどそれがすべてってわけでもないでしょう」と。

一方でデザインをビジネスと関連させて説明する流れが目立つようになっています。本屋さんに行くと昔と比べてビジネス書や啓発書の類がものすごく増えましたがそういうこととも関係があるはずです。それはそれでいいんですが「わかった気にさせる」方向のものが多過ぎるのはちょっと気になります。大事なことというのは「わからないままであること」にこそあるはずですから。とは言え同じ「わからない」にもいろいろな「わからなさ」が含まれているわけでハッキリさせられることを曖昧にしているためただ「わかりにくい」だけのデザインが多いことも事実なんですが。

いずれにしろ何か新しいやり方を見つけなければならない局面に来ている気がするんです。従来のやり方とは異なる「現実のつかまえかた」あるいは「問いのたてかた」が必要になって来ているんじゃないか。ここから先は「デザインを考える」のではなくまたそのことをただ停止させるのでもなくデザインすることの周辺をうろつきながらより積極的に「デザインを考えない」ようにすることで小さな捕獲を繰り返してみるのがいいだろうと。いいだろうというかそしたらどうなるかなと。そんなことをぼんやり思ったりしながら仕事やら何やら重ねて来てそれなりに時間も経過したのでそうした行為だったり思考だったりの断片をこれからちょっとずつ書き連ねてみます。ものすごくゆっくりとになると思いますが。[SATO]

2010/07/17

「イイ!」リレー(3)

佐藤です。前回からまた3ヶ月経ってしまいました。ということは季刊ってことになりますかね。すみません。ってこれ謝ることなのかどうかもわからないんですけど。そんなTEXTページの活用状況です。というか活用してることになるんでしょうか。

 「イイ!」第三回は『球体』4号。2009年の年末に発行されてます。それを今紹介するという。そろそろ5号が出るのかな。わかりませんがまあいいでしょうこの際そんなことはどうでも。 最近は時間の感覚がよくわからなくなってますし短いスパンの流行とか本当にどうでもいい感じがするようになってきました。

WORKSも2009年から更新してません。仕事はしてるんですが。まあのんびりやります。『球体』はとにかく素晴らしい雑誌なのでみなさんも機会があったら手にとってみてください。ということで内容について何も述べないままオシマイにします。 すみません。[SATO]

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2010/05/13

元中学校に引っ越しました

今月11日、アジールは事務所を移転しました。場所は秋葉原の電気街からほど近い元中学校、3331アーツ千代田という建物です。元中学校だけあって男子トイレにはこんな物件もシッカリあったりします。(いまも工事中なのでいずれ消えてしまうと思いますが)とうわけで今後とも夜露死苦おねがいいたします&愛羅武勇。[中]

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2010/04/01

「イイ!」リレー(2)

「目標は月イチ」と書いてから早3ヶ月。われながらヒドイ。まあtwitterばっかりやってたわけですけど。どんな落ち着き方するんでしょう。と他人事のように書いてますがしばらくはまだこの流れに身を委ねる感じになりそうです。時々ここを覗きに来てくれている方いらっしゃったらスミマセン。

さて「イイ!」第二回は、「ロトチェンコ+ステパーノワ  ロシア構成主義のまなざし」のフライヤー。繰り返し取り上げられるロシア構成主義ですが、このフライヤーはきわめて今っぽい。今っぽいことはやはりデザインにとって非常に重要で、後からなら何とだって言えるわけですけど、その時そのタイミングでやれることをちゃんとやりきってる人っていうのはいつの時代もすごく少ないのです。服部一成さんなどがここ数年の筆頭と言えるでしょう。本当に憎たらしいですね。と書きつつ太過ぎないゴシックを頼りなく使う感じはかなり定石化してきているので、そろそろまた変わっていく時期なのかも。仲條正義さんからの系譜とも言えるこの流れ。そこを突き抜け次を見せてくれるのはどこのどいつなんでしょうか。そいつも憎たらしいですね。つづく。[SATO]

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2010/01/25

ひとりワークショップ

スタッフ谷です。
遅ればせながら、本年もよろしくお願い致します。
 
今年の谷の目標は「ものを捨てる」です。 
ですので、それに関係あるようなないような
一人ワークショップを始めたいと思います。


 
頂き物の包み紙。 


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を、封筒の台紙(あらかじめ厚紙などでつくっておくと便利)にあてて切る。


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折って、糊ではり、封筒の出来上がり。 

つまりは、ショッピングバックや包み紙など、
なんとなく捨てられないお気に入りの紙は、
全て封筒にしてしまえ!ということです。

決してヒマな訳ではありませんが、
夜中に突然何かつくりたい衝動にかられた時など、
手軽に発散できてよいです。

「そんなに封筒は必要なのか、使うのか」
といった質問を時たま受けますが、
はっきり言って眺めてうっとりすることが目的です。


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深く考えずにつくり、うっとりすることがポイントです。
また、頑固に封筒以外はつくらないのもちょっとした信念です。
 今回は本当に頂き物ですが、包み紙ほしさにプレゼント包装をお願いする、
という荒技もしばしばやってのけます。


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ちなみに、この蜂の包み紙はホーケン化粧品の包み紙です。
個人的にはハンドクリーム、おすすめです。
蜂の包みに、木箱...。購入の際はプレゼント包装がよろしいかと。[谷]

2010/01/04

「イイ!」リレー(1)

久々の書き込みに加え年始の挨拶も兼ねてということでつい力瘤(「ちからこぶ」と読みます)が入り過ぎ、あまりにも大きな目標を掲げてしまった元日の夜明け前。読み返せば「それ今年の目標ちゅうか一生の目標じゃん!」という内容になってました。

というわけで本日はもっと気軽な目標というものを考えてみたいと思います。いろいろ極端でスミマセン。癖みたいです。8〜9ヶ月空けた後に中3日で登板というこの状況もそうですが。

心底「カッコイイ!」なんてものは、自分でつくるつくらない以前の問題として、そうそう出会えるもんじゃありません。その時は激しく心を動かされても後で「え?オレこれをカッコイイと思ってたの?どこが?ていうか何で?」なんてことはいくらでもあります。

もちろんそこを超えたい気持ちからあえて書いてみたわけですが、まずは世の様々なる制作物の中から、その時々に感じた「イイ!」を取り上げつつ、またさらなる別の「イイ!」を探るということをやってみたいと思います。目標は月イチ。

記念すべき(?)第一回目はチェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人であるのか」のフライヤー(illustration : Yuichi Yokoyama / Design : Takahiro Furuya)。演劇の表現形式自体を対象化しながら進む気鋭の劇団に相応しく、フライヤーのグラフィックも停滞を拒むかのように変わり続けています。「ものすごく新しい!」わけではないけれど、絶妙な鮮度で、それがとても「イイ!」。

お金を払って観に行くものだから、フライヤーが実験過ぎちゃ「そこはウチウチで済ませてからにしてよ」ってことになっちゃうし、もちろんトライがなくて止まって見えたらアウト。そこの案配が見事になっている気がします。劇団の成長はこういう部分にも表れるものなんじゃないでしょうか。公演への期待が一層高まります。つづく。[SATO]

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2010/01/01

2010という年

ここに書くのはなんと8~9ヶ月ぶりの佐藤です。2008年の夏頃からスタッフに書いてもらうようになったためでもあるんですが、僕自身が以前ほど書かなくなったのは何事もない平和な日々が淡々と過ぎて行くようになったせい......ではもちろんなくて、振り返って書くのに何年もの時間を要しそうな、様々な表現活動に関わる同時多発的変化を実感した一年で、それゆえ書くに書けなくなっていたと言ったほうがいいくらいなのです。

そんな流れとも大いに関係していますが、春くらいからまた新しい動きを起こします。なのでまたここにもどんどん書いていくつもりです。とは言っても、ネット上の環境変化には予測し切れないものがあります。一昨年〜昨年あたりから盛り上がり始めたtwitterやustreamなどと連動した試みも引き続き数多くなされることでしょうし、このコーナーへの書き込みがまたしても留守がちになってしまう可能性だってなくはありません。さまざまなプロジェクトに関わるであろう2010年ですが「先のことはわからない」というのが正直なところです。

その一方で、非常にわかりやすいシンプルな目標も立てています。それは自分で心底「カッコイイ!」と思えるグラフィックをつくること。普段の自分にとっての「カッコイイ!」は、じつはグラフィックのよしあしとあまり関係がありません。グラフィック「だけ」カッコイイものというのはむじろカッコワルイものの代名詞だったりもします。では、その先にある、グラフィック「も」カッコイイ、とはどんなもので、現代のそれはどんな姿をしているのだろう。そこをちゃんと追求したい。

僕は、手元から生まれるグラフィックを核にして、その延長でものを考えてきたアートディレクターです。が、最近では「企画型」の参加が増えました。この10年でデザインに求められるものも変化し、様々なジャンルの人たちと共同で課題解決に向かうことが多くなっています。それは間違いなくデザインにとっての成熟であり、かつてよくあったタイプのスタンドプレーが効くような世界ではなくなっているということだと思います(現代サッカーの進化と重ねて考えるとわかりやすい気がします)。

ただ、僕が最近、端的に「つまらないな」と思うのは、「カッコイイものをつくるばかりがデザインじゃない」とか「デザインの本質は見た目だけじゃない」とか、そんなアタリマエ過ぎることをわざわざ語る人が増えている気がすることです。カッコイイうちに入らない、見た目というほどのところに到達しているわけでもない、そんなものを引き合いに、「デザインしないこともデザインだ」みたいなレトリックを使うのってどうなの?と思います。

たとえばデザインには、グラフィックがほとんど関与しない領域があります。また、グラフィックを問題化しなければ解けない領域もあります。現場で判断すれば、そこはわりあい単純な話だったりします。ところがデザインを巡る最近の論議は、その部分を曖昧にしたまま語られている場合がとても多い。きわめて初歩的な問題設定であるにも関わらず。なぜ曖昧にするのかと言えば、その人の立場がそれを求めているからでしょう。

そんな論議につき合うより、もっと別の軸でデザインとつき合えないか。そもそも平面・立体・時間といった要素を別々に考えないほうがいいし、大きな流れのようなものを掴もうとするより個別の「体験」を起点にすべきなんじゃないか。

僕がウエブ上に日記らしきものを書き始めたのはASYLをスタートさせたばかりの1998年でした(当時の社名は「ASYL DESIGN」でしたが)。そのテキストは「葛西薫さんのデザインが好きだ」から始まっています。しかしそう書きつつも、その時はまだ、そのことの前で途方に暮れていただけでした。でも今ではその頃に見えていなかったことがずいぶんと見えるようになった気がします。

ようするに「カッコイイ!」んです。まずもってグラフィックが。そしてグラフィックに昇華されていくまでのプロセスのすべてが。その総体としてのデザインの佇まいとでも言うべきものが。アートディレクターを名乗る人はたくさんいるのになんでこんなに違うんだろうっていうくらい違う。語っている言葉の質も違います。部分的に同じようなことを語っている人もいるにはいると思いますが、意味ではなく質感がまるで違うのです。
http://www.1101.com/kasai_kaoru/

葛西さんとはちょうど12離れているので「その頃に見えていなかったことがずいぶんと見えるように」なってなければ困ります。でもその後の12年でもっともっとずっと先まで行っていた。なんというか、先鋭的なものをより先鋭化するのではなく、日常の「なんでもないこと」に誇り高いカタチを与えようとしているようで、しかもそのことを長く持続していて、そこに衰えがない。その秘密は外からはわからない思いの中にあるに違いありません。だから追いつくことなんかないのだろうと思うのです。と言いながら諦めることなくまた長い時間を注ぎたいと思っているのですが。また同じくらいの時間が経った時、少しはマシなことが言えるようになっているでしょうか。

今年もよろしくお願いします。[SATO]