ここに書くのはなんと8~9ヶ月ぶりの佐藤です。2008年の夏頃からスタッフに書いてもらうようになったためでもあるんですが、僕自身が以前ほど書かなくなったのは何事もない平和な日々が淡々と過ぎて行くようになったせい......ではもちろんなくて、振り返って書くのに何年もの時間を要しそうな、様々な表現活動に関わる同時多発的変化を実感した一年で、それゆえ書くに書けなくなっていたと言ったほうがいいくらいなのです。
そんな流れとも大いに関係していますが、春くらいからまた新しい動きを起こします。なのでまたここにもどんどん書いていくつもりです。とは言っても、ネット上の環境変化には予測し切れないものがあります。一昨年〜昨年あたりから盛り上がり始めたtwitterやustreamなどと連動した試みも引き続き数多くなされることでしょうし、このコーナーへの書き込みがまたしても留守がちになってしまう可能性だってなくはありません。さまざまなプロジェクトに関わるであろう2010年ですが「先のことはわからない」というのが正直なところです。
その一方で、非常にわかりやすいシンプルな目標も立てています。それは自分で心底「カッコイイ!」と思えるグラフィックをつくること。普段の自分にとっての「カッコイイ!」は、じつはグラフィックのよしあしとあまり関係がありません。グラフィック「だけ」カッコイイものというのはむじろカッコワルイものの代名詞だったりもします。では、その先にある、グラフィック「も」カッコイイ、とはどんなもので、現代のそれはどんな姿をしているのだろう。そこをちゃんと追求したい。
僕は、手元から生まれるグラフィックを核にして、その延長でものを考えてきたアートディレクターです。が、最近では「企画型」の参加が増えました。この10年でデザインに求められるものも変化し、様々なジャンルの人たちと共同で課題解決に向かうことが多くなっています。それは間違いなくデザインにとっての成熟であり、かつてよくあったタイプのスタンドプレーが効くような世界ではなくなっているということだと思います(現代サッカーの進化と重ねて考えるとわかりやすい気がします)。
ただ、僕が最近、端的に「つまらないな」と思うのは、「カッコイイものをつくるばかりがデザインじゃない」とか「デザインの本質は見た目だけじゃない」とか、そんなアタリマエ過ぎることをわざわざ語る人が増えている気がすることです。カッコイイうちに入らない、見た目というほどのところに到達しているわけでもない、そんなものを引き合いに、「デザインしないこともデザインだ」みたいなレトリックを使うのってどうなの?と思います。
たとえばデザインには、グラフィックがほとんど関与しない領域があります。また、グラフィックを問題化しなければ解けない領域もあります。現場で判断すれば、そこはわりあい単純な話だったりします。ところがデザインを巡る最近の論議は、その部分を曖昧にしたまま語られている場合がとても多い。きわめて初歩的な問題設定であるにも関わらず。なぜ曖昧にするのかと言えば、その人の立場がそれを求めているからでしょう。
そんな論議につき合うより、もっと別の軸でデザインとつき合えないか。そもそも平面・立体・時間といった要素を別々に考えないほうがいいし、大きな流れのようなものを掴もうとするより個別の「体験」を起点にすべきなんじゃないか。
僕がウエブ上に日記らしきものを書き始めたのはASYLをスタートさせたばかりの1998年でした(当時の社名は「ASYL DESIGN」でしたが)。そのテキストは「葛西薫さんのデザインが好きだ」から始まっています。しかしそう書きつつも、その時はまだ、そのことの前で途方に暮れていただけでした。でも今ではその頃に見えていなかったことがずいぶんと見えるようになった気がします。
ようするに「カッコイイ!」んです。まずもってグラフィックが。そしてグラフィックに昇華されていくまでのプロセスのすべてが。その総体としてのデザインの佇まいとでも言うべきものが。アートディレクターを名乗る人はたくさんいるのになんでこんなに違うんだろうっていうくらい違う。語っている言葉の質も違います。部分的に同じようなことを語っている人もいるにはいると思いますが、意味ではなく質感がまるで違うのです。
http://www.1101.com/kasai_kaoru/葛西さんとはちょうど12離れているので「その頃に見えていなかったことがずいぶんと見えるように」なってなければ困ります。でもその後の12年でもっともっとずっと先まで行っていた。なんというか、先鋭的なものをより先鋭化するのではなく、日常の「なんでもないこと」に誇り高いカタチを与えようとしているようで、しかもそのことを長く持続していて、そこに衰えがない。その秘密は外からはわからない思いの中にあるに違いありません。だから追いつくことなんかないのだろうと思うのです。と言いながら諦めることなくまた長い時間を注ぎたいと思っているのですが。また同じくらいの時間が経った時、少しはマシなことが言えるようになっているでしょうか。
今年もよろしくお願いします。[SATO]