ASYL design - diary -
2000/07/07

突然ですが、このたび、この場所を借りて「佐藤直樹デザイン研究室」を開設することにしました。先生も生徒もボク自身です。ボクはデザイン教育を受けていませんが、今日、急にそういうものを経験してみたくなったので、やってみることにします。たぶん、他の人にとっては、何の役にもたちません。あらかじめご了承ください。では、はじめます。

先生:デザインをするにあたって、まずは「センス(感性)」という言葉を疑わなくてはなりません。そういうものが「ある」ように思えるのは確かですが、その背後には必ず根拠があります。大事なのはそっちのほうです。「デザインはセンスだ」では何も言っていないに等しい。

生徒:じゃあ、デザインは理屈だ、理屈でやれと。

先生:それも違います。理屈というのは根拠を後追いしてそれをただ解説しているにすぎない。根拠の部分というのは、簡単に説明がついてしまうようなものであってはダメなのです。ですから、先に根拠を探して理屈で演繹的にモノをつくるのが一番いけません。

生徒:なんかむつかしいっすね。

先生:むつかしいっす。

生徒:先に根拠を探すのがダメなら、やっぱ感覚的にやるしかないじゃないっすか。

先生:もちろんそれもひとつの手ではあります。それで一生やれる人はやればよろしい。しかし、それが他人に通じるのはその背後に根拠があるからで、それを研究するのが当研究室の目的なのです。「ほんじゃ、感覚的にやっかあ」では研究室を開設した意味がないでしょう。

生徒:そりゃそうだ。じゃ、続けて。

先生:キミは何もしないで人の話を聞いてるだけなのにずいぶん偉そうだな。ま、いいでしょう。感性豊かに見える人間っていうのは、普通ならそこそこのところで引き返してきてしまうのにちっとも戻ってこなかったり、引き出しの数がめったやたらに多かったり、ようするに「何か」に対して徹底して忠実なだけなのだと考えましょう。

生徒:つまり中途半端はいけませんと。

先生:そういうことだな。さて、そこでこの「何か」というやつが問題になる。デザインには必ず機能面の要請があるわけだが、そういうことを根拠にして、忠実にやればおもしろいものができるかというとそうはならない。

生徒:あのー、先生。つまり先生は「おもしろいもの」がつくりたいわけですか。要請される機能があってそれに忠実であれば、別におもしろくなくたっていいってことにはなりませんか。

先生:なりません。我々はそんなものに忠実であるために生きてるんじゃない。じゃあ聞くが、キミは計算された機能で埋め尽くされた世界に生きたいか?

生徒:生きたいかって言われても……そりゃヤですけど、だったら何に忠実であれと。

先生:パトスです。

生徒:パトス。なんすかそれ。

先生:知性(ロゴス)によって整然と記述することはできないが、人間が確実に抱え込んでしまう流動的な情念のようなものだな。

生徒:それを根拠にデザインせえと。

先生:つーか、せざるをえんのだと。

生徒:せざるをえんですか。

先生:えんな。

生徒:でも先生、だったらパーッとやりたいことやりゃあいいんじゃないですかね。そういうもので表現を成立させたいなら、こんな禅問答みたいなことって最初っから意味ないと思うんですが。

先生:いいところを突いたな。問題はそこだ。デザインは世界のここかしこに存在するが、そのほとんどは機能主義的なものだ。それも徹底した機能追求によるのではなく中途半端な妥協のシロモノだよ。一方で「アート」という保護区域をつくり、ごくごく少数のものにだけ無制限な表現主義を認めて、補完させているわけだ。しかし、パトスというのは万人が抱えているんだ。横尾忠則だけが抱えているわけじゃない。

生徒:岡本太郎も抱えていました。

先生:ヒクソン・グレイシーだって抱えている。

生徒:鳩山由起夫も抱えていますかね。

先生:たぶんな。あと……おっと、時間だ。じゃ、また来週。しっかりデザインしろよ。

生徒:……。

(次回・第二講につづく)




2000/07/08

佐藤直樹デザイン研究室「デザイン原論」
第二講・デザインの対立図式について

先生:前回は妙な終わり方をしてしまいましたね。

生徒:なんの話でしたっけ。

先生:パトスの話。パトスは誰にでもあると。

生徒:日本サッカー協会の岡野会長にも?

先生:そう雪印の石川社長にも…って誰にでもっつってんだろ!

生徒:あ、いや、すみません。でも先生、これってほんとにデザインの話なんでしょうか。

先生:そうです。デザインの世界とはことほどさように、大海原のごとく広く深くワケわかんないものであると。

生徒:うーん、なんかヤだなあ、こういう話。薄っぺらくてカッコイイほうが好きっすよ、オイラ。

先生:それも大事なことだね。

生徒:そんな簡単に前言翻すようなこと言って……。

先生:いや、そうじゃありません。重厚と軽薄、知性と感性、伝統と流行、自律と他律、アナログとデジタル、まあなんでもいいんですが、そういった対立図式自体がダメだと言ってるんです。多くのデザイナーはこうした対立軸に易々と収まってしまってるわけで、そんなんじゃダメなんだと。

生徒:ダメですか。

先生:ダメです。では、少し話を戻しましょう。デザインの話になると必ず出てくる機能重視の考え方がありますね。これは経済効率と密接に結びついたもので、デザインとクラフトが分離する以前にはなかった発想です。たとえば神話が日常の中に埋め込まれている世界では、経済性だけを独立させて考える人間なんて出てきっこありません。今、自由とか感性とか表現って言葉は無条件にいい意味で使われてますが、しかしそれは分離が前提になっているってことです。保護された「自由」「感性」「表現」が機能主義を延命させている。こういう対立図式の中で、我々はほんのちょっとばかりの「自由」とひきかえに全面的な従属を強いられている。だからこそ、分離を前提にするのではなく、埋め込んでいかなきゃならない。あらゆるものをぶちこんでいかなきゃならない。我々の仕事はそういう方向を目指さざるをえないんです。

生徒:なんかすごい話ですね。具体的にはどうしたらいいんでしょう。

先生:そんなこと自分で考えなさいよ。よし、じゃあ次回までに課題をひとつ出しておきましょう。佐藤雅彦・竹中平蔵「経済ってそういうことだったのか会議」(日本経済新聞社)を題材にして、デザインに何ができるか考えてきなさい。

(次回・第三講につづく)




2000/07/11

佐藤直樹デザイン研究室主宰「デザイン原論」
第三講・デザインと政治経済(1)

先生:読んできました?「経済ってそういうことだったのか会議」。

生徒:はい。

先生:で、どうでしたか?

生徒:おもしろかったです。

先生:あのさ、小学生じゃないんだから。他に何かあったでしょ? デザインを考えるためのヒントとか。

生徒:装丁がよかったです。ゆるくて。

先生:装丁がゆるくて……他には?

生徒:ないです。

先生:ないのか。

生徒:ないなあ……。

先生:困りましたね。346ページにはコンペティティブとコンピタントについて書かれています。これなんかどうですか?

生徒:たんなる競争をよしとするのか、それ自体有能であるかどうかを問うのか、ってやつですね。

先生:しっかり読み込んでんじゃねえか。

生徒:いやいや。

先生:いやいやじゃなくてさ。どうなのよ。

生徒:競争はよくないと思います。有能がいいと思います。

先生:思ってないんでしょ、ほんとは。

生徒:そんなことないです。コンペ嫌いですもん。付加価値求められるのもダメですし。

先生:デザインも非連続のイノベーションが重要であると。

生徒:そうっすね。そう思います。

先生:じゃあ、大いにヒントがあったわけじゃないか。

生徒:いやあ、どうなんでしょうねえ。

先生:なんだよ、そのノラクラした答えは。

生徒:たとえばですね、「経済学は役に立たない」って批判があるけどそれは「他の学問には期待しなくても経済学には期待しちゃうからだ」とか、要素還元主義には限界があるけど複雑系が出てきてるとか、説明されればされるほど、なんかごまかされてる気がしちゃうんですよ。だってやっぱ冷静に考えて経済学って破綻してるんじゃないですか? これだけ現象を挙げてもらっても、わかんないですもん、そもそもなんでこの人たち「経済」を軸に世界を語ってんのか。「A人は皆ウソつきだ」とあるA人が言った。このA人が言ってることはウソかホントか?って問いがあるじゃないですか。一瞬考えちゃうんだけど、どっちだっていいんすよ、要するに。問題は、そうやって設定された言語ゲームの中に入るか入らないかでしょ? 入ったらループしていきますよ、そりゃ。そういうふうにできてんだから。でもそこには入りたくないです。

先生:でもおもしろかったんでしょ?

生徒:おもしろかったです。

先生:なんなのよ。

生徒:いやだから、ほら、普通の経済学の本は、それぞれに自論の有効性を主張し合ってるわけですよね、あくまで経済学という枠の中に踏み止まって。ところがこの本は無意識に語ってるんです「経済学ってじつは破綻してませんか」って。でもそれは聞き取れないほどの重低音として響いてて、そんなこと認めちゃまずいから、聞き取れるメッセージとしては「経済ってそういうことだったのか」っていうところですごくうまくまとめられてる。うまいなあ、かわすなあ、この佇まいによってむしろ経済学は延命しちゃうんじゃないかなあ……ってカンジですか。

先生:かなり意地の悪い見方をしてますね。でもある意味まっとうなやり方でもあるわけでしょう、こういうずらし方というのは。表だって経済学を批判したってそれこそ何の意味もないわけだから。

生徒:かもしんないですね。でも、意地の悪い見方ってことで言うと、最近ボク「大貫卓也=小泉純一郎」説ってのを唱えてるんですよ。

先生:なにそれ。

生徒:この本の中にも「産業は自然に生まれたもので、業界はつくられたものだ」ってあるけど、デザインって産業じゃなくて業界として形成されてますよね。広告もそうですよね。

先生:そうだね、たしかに政治が働いてるね。

生徒:すっごく自民党的ですよ。じつに巧妙な力学が働いてて。でもその自民党がなんで保ってるかっていうと小泉純一郎とか田中真紀子とかがいるからでしょう。

先生:なんかキミやばい話してないか?

(次回・第四講につづく)




2000/07/12

佐藤直樹デザイン研究室主宰「デザイン原論」
第四講・デザインと政治経済(2)

生徒:先生、今日は「デザインと政治経済」の話のつづきですね。

先生:えー、今日はちょっと趣向を……。

生徒:変えなくていいって。つづきをやりましょうよ。

先生:えー? なんかやだなあ。

生徒:先生、急に守りに入ってませんか?「我々はほんのちょっとばかりの自由とひきかえに全面的な従属を強いられている。だからこそ、分離を前提にするのではなく、埋め込んでいかなきゃならない。あらゆるものをぶちこんでいかなきゃならない。我々の仕事はそういう方向を目指さざるをえない」って言ってたじゃないっすか。

先生:言ったっけ、そんなこと。

生徒:こら。

先生:……いやあ、あのねえ、まあ、言ったかもしれない、確かに……そんなようなことを。

生徒:そんなようなことじゃないって。まんまコピーペーストしたんだからさ。言っときますけど、ボクらが今いるのはあくまで「書き言葉の世界」なんですからね。

先生:……「言語ゲームの中には入らない」って言ってたくせに。

生徒:あのねえ、それは「あらかじめ設定された言語ゲーム」のことでしょう。言葉で追いつめられることは追いつめるべきだと思いますよ。だいたいそんなこと言うなら最初から講義なんかはじめなきゃいいじゃないですか。

先生:うーん。そこがデザインのむずかしいところでね。要は実践あるのみなんですよ。実践に結びつく話ならいくらでもするけど、結びつかない政治の話なんかしてもしょうがない。

生徒:「感覚的につくられたものでもそれが他人に通じるのはその背後に根拠があるからだ」って先生言ってましたよね。それを研究するのが当研究室の目的だと。センスみたいなものをいくら謳歌しても、一方で古くさいシステムはしっかり延命しちゃってる。ある意味、びくともしていない。それは政治が働いてるからでしょう。政治を語らずに先にすすむことができるんですかね。先生が研究しようとしてるのはそういうシステムのことじゃないんですか?

先生:キミは薄っぺらくてカッコイイもののほうが好きなんでしょ?

生徒:好きですよ。

先生:じゃいいじゃんそれで。

生徒:逃げないでいただきたいですね。そりゃオレは嫌いですよ、理屈っぽいものとか重っくるしいものとか。なんか背後に意味あり気なものってムカツクんだ。反戦ポスターとかをビエンナーレに出して賞とったりしてんの見るとさ、「戦争が続いてんだから効果なかったってことじゃねえか」って思うよ。カッコつけて、カッコイイだろ? って言ってるほうがまだ理にかなってるってもんでしょ。どういうことですか、目的を設定しておいて、その目的に応えてないものが賞をいただいてるってのは。え? どうなんですか、先生!

先生:熱いなあ。そして暑苦しくもある。

生徒:いいじゃん、ひとりくらい暑苦しいのがいても。

先生:まあいいけど私は関係ないからね。

生徒:べつに関係なんかなくてもいいよ。で、どうなのよ。「デザイン界=自民党」説については。

先生:いいんじゃないの? 間違ってはいないと思いますよ。でも、キミのようなスタンスだと万年野党になっちゃう。私がどうかと思うのはその点だな。自民党政治の核っていうのは誰もがあえて言語化せずに抱えている利害をうまく調整しているところにあるわけだ。批判するのは簡単だがいくら批判が的を得ていても勝てないんだよ。小泉純一郎が自民党から出ないっていうのはそういうことだろう?

(次回・第五講につづく)




2000/07/14

佐藤直樹デザイン研究室主宰「デザイン原論」
第五講・デザインと幻想性

先生:じゃ、今日の講義はじめます。

生徒:よろしくお願いしまーす。

先生:私としてはもっとアカデミックにやりたかったんだが……まあ、腹をくくるとしようかな。で、「デザイン界=自民党」問題な。

生徒:いいぞいいぞ。

先生:講義なんだから、そういう合いの手なしね。

生徒:はいはい。

先生:ようするにキミは「自民党政治をぶちこわせ」と、こう言いたいわけだね。

生徒:いやよくわかんないですけどそういうことになんのかもしんないですね。

先生:そこが感心しないとこだなあ。自民党の石原伸晃じゃないけど、デザイン界の若手も今はみんな同じようなこと言ってますよ。「新しい自民党を創生する」でも「デザイン界に新風を巻き起こす」でもなんでもいいんだけどさ、そういうスタンス自体、枠組を固定して考えてる証拠じゃないの。どうだっていいんだよ、そんなことは。そんで、そのさらに外部で批判的なスタンスをちらつかせてるのが一番ダメ。たとえばキミみたいなのな。

生徒:いやあ、ボクは社民党最低って思ってる人間ですけど。田中真紀子くらいいるとおもしろいんですけどね、デザイン界にも。

先生:小泉純一郎はいても田中真紀子はいないよなあ。確かにいたらおもしろいかも。そしたらもっと盛り上がるかもしんないね、デザイン界も。

生徒:じゃ小沢一郎なんかいたらどうですかね。

先生:いやあ、あの人はさ、政策で勝負って言いながら……ってなんかどんどんデザインから離れてくな。

生徒:離れていきますね。

先生:結局ねえ、純粋なデザインなんてないっつーことなんじゃないの。ま、幻想だな、いいデザインなんて。

生徒:うひゃー、身も蓋もないこと言いますねえ。

先生:いや逆に幻想じゃなきゃやってらんねえだろ。幻想だからおもしろいんだと思うよ。幻想から自由なヤツなんていねえんだからさ。機能主義のダメなとこはそこだろう。得体の知れない幻想の部分を無視しちゃってる。でも合理性より幻想性のほうがデカイよ、人間にとっては。

生徒:……すこし話が戻ってきましたね。最近、宇川直宏に俄然注目してんですけど。あの人はいいですよ。

先生:いいねえ、彼は。久々にホンモノが出てきたカンジがするな。

生徒:いいですよねえ……ってこれじゃたんなる飲み屋の会話ですね。この辺にしときませんか、今日のところは。

先生:そだな。

(次回・第六講につづく)




2000/07/29

佐藤直樹デザイン研究室主宰「デザイン原論」
第六講・デザインとスピード

先生:なんかこの講義にも飽きてきたね。

生徒:もうですか。

先生:バカバカしくなってきた。

生徒:とほほ。

先生:講義なんかよりデザインしたい。

生徒:してないんですか。

先生:してるけど……し足りない。

生徒:じゃあどんどんすればいいじゃないっすか。それとこれとは話が別ですよ。

先生:そかな。一人の人間に与えられた時間には限りがあるんだから、講義なんかやってたらデザインの時間が減る。

生徒:いまさらなに言ってんの。

先生:ほんじゃ……

生徒:ちょっとちょっと! ……困ったオヤジだねえ。

先生:そう。オヤジとはそういうもんです。それは最近つくづく感じるね。あんなふうにはなりたくない、あんなになったらおしまいだって思ってたものに自分がどんどんなっていく……。

生徒:そんな独り言どうでもいいから講義つづけてください。

先生:いやあ……じゃキミはどう思うの。デザインの講義になんか意味があるとでも思ってんのかぃ?

生徒:何を急に凄んでるんですか。意味があるかないかはわかんないけど「通じる」ことの根拠を研究するのが当研究室の目的だって言ってたじゃないっすか。

先生:言ってたけどやっぱそれを言葉でつかまえるのは絶望的にむずかしい。それがよくわかった。わかったので講義はもうおしまい。

生徒:なんか身も蓋もないこと言い出すのが好きな人ですねえ。そんなこと言ってみりゃ最初からわかりきった話でしょう。

先生:いいや、わかってなかった。つかまえられると思ってたの、つい最近までは。

生徒:「我々はほんのちょっとばかりの自由とひきかえに全面的な従属を強いられている。だからこそ、分離を前提にするのではなく、埋め込んでいかなきゃならない。あらゆるものをぶちこんでいかなきゃならない。我々の仕事はそういう方向を目指さざるをえない」とか宣ってましたね。

先生:はあ。

生徒:何が「はあ」なんですか。

先生:いや、我ながらつまんないこと言ってるなあと思って。

生徒:前言を撤回すると。

先生:いや別に撤回はしない。今となっては不十分な言及だなあと思うだけで。だって「あらゆるもの」とか言いながら言及してないことがあるんだもん。さて、それはなあーんだ。

生徒:なあーんだって。ゾナーのなぞなぞですか。

先生:なんだい、ゾナーってのは。

生徒:「おはスタ」に出てくる……

先生:ああ、あの男のことか。

生徒:見てんですか。

先生:「おはスタ」と「おじゃる丸」は欠かさないようにしている。早起きして見たいところを徹夜明けで我慢してはいるが。

生徒:そんなことどうでもいいです。で、なんなんですか、その「言及してないこと」っていうのは。

先生:SPEED。表現要素としてのスピード。言及なんかしてたらもう目の前から消えてるもの。

生徒:ポール・ヴィリリオは「政治」の解読にスピードの概念を導入していますが。

先生:そういうものを読んじゃうところがキミの決定的にダメなところだな。言及したところで何の解決にもなってないでしょ。

生徒:じゃ、どうせいと。

先生:まずはあらゆる解読言語を凍結してしまったらいいと思うのよ。ここではさしあたって「デザイン」ね。まあ「政治」と言っても同じことなんだけど。今はデザインって言葉をさもいいことのようになんにでも拡張して使うでしょ? グランドデザインとかビジネスデザインとかライフデザインとか。でも、そういう言葉で括っているかぎり、すべては「政治」に転化せざるをえないんだよ。そういう「括り」から逸脱するものをこそ支持したいし、それはもう「デザイン」なんかでなくたってかまわないんだ。 問題は「デザイン」のその先でしょ。つーことで、おしまい。

生徒:えっ、もうおしまい?

先生:おしまいったらおしまいだ。いいかよく聞けよ。オレたちにできたことなんかまだ何ひとつねえし、これから何ができるかだって皆目わかんねえんだ。そういう場所に立ち尽くしてんだよ。それだけが確かなことだ。それを何勘違いしてんだか、たいしたこともやってねえくせにデザインだのグラフィックだのセンスだのタンスだの言って天狗になってるヤツらがゴロゴロいるだろう。オレは滅法むかついてんだ。道で会ったら片っ端からぶんなぐってやるからな、覚えとけよ!!

生徒:ひーっ!! く、狂ってる……やくざだ、デザインやくざだ!

(デザイン原論・了)




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