2000/11/01

突然、事務所の片づけをはじめる。その時々には愛情を持ってやっていたはずの仕事も、時間がたつとまた違って見えてくる。なんとなく複雑な気分。

10月25〜11月1日の教訓:
仕事にすりゃあいいってもんじゃない。




2000/11/07

ふと思ったんだが「デザイン」って近いうちに消えてなくなるんじゃないかな。少なくとも今普通に語られてるような意味での「デザイン」は早々になくなると思う。ボクが今やっていることのほとんども「デザイン」なんじゃないかと思うけど、だとしたら、続けていくうち「あのーいつのまにかデザインじゃなくなってるみたいなんですけど」っていうふうになってっちゃうのがいいな。ハメをはずすとかそういうんじゃなくって、ちゃんとやってるのに「それってデザインじゃないんじゃないですか?」って言われちゃうような。よくわかんないけど、もうすこしがんばってみようと思う。

11月2日〜11月7日の教訓:

見極めるための全てを動員しなきゃいけない。
頭をからっぽにしてつかまなけりゃいけない。

コトバにたよらずにやってかなきゃいけない。
コトバにできることはしてかなきゃいけない。

変なものの中にある真実を見なきゃいけない。
普通の事の中の異常さを探さなきゃいけない。

いいフリこいて誤魔化し通してちゃいけない。
悪いフリしながらやり過ごしてちゃいけない。

悪さにともなう快楽は確かめなきゃいけない。
快楽が何を殺してるのか知らなきゃいけない。

難しい顔をして知ったかぶってちゃいけない。
無邪気な顔して問題を無視してちゃいけない。

青臭いことばっかり言い放ってちゃいけない。
そういうこと気にしてひるんでちゃいけない。

食べ終わったら後片づけをしなきゃいけない。
食べ終わる前に後片づけをしちゃあいけない。




2000/11/09

とくにデザイナー募集をしなくても、応募が頻繁に来るようになってきた。送られてきた手紙や作品などには、ひとつひとつ一生懸命、目を通しているんだが、当然、ほとんどの場合お返事できない。「勝手に送って来たんだし…」といってもちょっぴり申し訳なく思う。かつて、なんらかのアクションを起こしながらも音沙汰なく、ガッカリしてた経験のある人がもしこれを読んでいたら、ゴメンね。もしかしたら、これから何か送ろうと思っている人もいるかもしれないので、今日はそういった人にあらかじめ答えます。

正直に告白すると、ボクは放っておかれるといつまででもデザインし続け、無限に完成度を上げようとしてしまう性癖があります。 ところが、ここがデザインのむずかしいところですが、そういうことが最終的にいいことかどうかはまったくわからない。人は自分にないものを求めるものなので、つまりボクの場合はユルイものに寛容で、キツイものに厳しくなってしまう。その結果、最近はボク自身めっきりユルクなり、今日はついにおもらししてしまいました。っていうのはウソですが、ユルクなっているのは事実です。「そうだなあ、そういうのもアリだなあ」というふうにほとんど何でも認めてしまう。これはしかし、ちょっと困った事態で、じゃあなんでもアリなのか?ナシというなら何がナシで何がアリなんだ?ということになってしまう。

ところが、さっき、ちょっとイイモノを見てしまった。媒体としてはとくにどうということもないものだし、たぶんデザイナーとしても無名だと思うんだけど、すごくウマイ。ハッキリ言って、うちのスタッフの誰よりもウマイ。「これは放っておかれてデザインし続けてしまった、今のボクより10〜15歳くらい若いボクが(っていうのもなんだかわからないが)やったんじゃないか」と思ったくらい。で、ちょっと焦った。この、誰だかわかんないヤツに負けてんじゃねえの、と。

完成度は高けりゃいいってもんじゃないが、低けりゃいいってもんでももちろんない。だとしたら、完成度を高めてみせるんじゃなくて、高める手前でやめるんでもなくて、完成度を高める力を密かに獲得してなおかつ高めないでいられる「さらなる自由度」を持たないとダメだっちゅーことだ。そのような結論に今達した。

で、ここから何が導き出されるかというと、そういうわけなので、今、ボクはたいへん焦っており、人のことを心配している場合ではありません。皆さんも、それぞれにがんばってください。 でも、ボクを今よりももっと焦らせてくれるような人がいたら、ぜひ会いたいです。ただし、上に書いたような人と出会っても、今はもう同じことでは焦りません。次に焦るのは、きっとまったく別の文脈になります。ってこれじゃなにがなんだかわかんないよね。

11月8〜9日の教訓:
当たって砕けろ。




2000/11/13

机の中から、去年入院していた時に書いていた「絵と文」が出てきた。自分で書いたものなのに、ほとんど憶えていなかったことにちょっと驚く。しばらくここから文章を写してみよう。日記として考えればちょっと反則なような気もするが、こんなに憶えていないということは、別の人間が書いたようなものだろう。ワタクシという別人。この出会いにはなかなか興味深いものがある。双方の中に流れてる時間はまるで違うから。にもかかわらず「いかにも」なことが書いてあるのは、器量の狭さからくるもので、それはそれでしかたのないことだ。

<1999/5/30>

5月24日、とある用件で広告代理店Dに行くことになった。ひとしきりの会合の合間、ビールを1本空けたあたりで、トイレに立ったところ、急に目の前がグルグルと回りはじめ、その場に倒れこんでしまったらしい。発見され、救急車が呼ばれ、その場で意識をとりもどして対応したそうだが、記憶にない。憶えているのは、病院に運び込まれてからで、血まみれになっていた。ビール1本ぐらいで倒れるとは、よほど疲労がたまっていたりしたのだろう。こんなことは今までになかったことなんだけどな。

今日は5月30日。やっと回復してきたので、筆をとってみた。この1週間、ただぼぉーっと窓の外を眺めていただけで、こんなにゆっくりしたのは何年ぶりかわからない。文章もパソコンを使わずに書いているし。いつもとあまりにも違う時間の流れがオモシロイので、少し記録しておこうと思ったのだ。きっと、書いておかないと、また、同じような生活に戻った時には、すべて忘れてしまう気がする。実際この1週間、たっぷりある時間の中で、実にいろんなことを考えたのに、もう、そのほとんどを忘れてしまっている。

5月25日に見た夢のこと。学生時代をすごした旭川をぶらぶら歩いている。「こういう時間があったことを忘れていただろう」と誰かに語りかけられる。そうだなあ、としみじみ思うが、そいつにすっごいまずい、わけのわからないインチキな焼鳥(何故かガラスの細工が入っている)のようなものを与えられしみじみしすぎたことを後悔する。そんな夢。夢に出てきた場所は、旭川というより、鷹栖町かな。電線に、ちょっと宮澤賢治の影が。でもそれは最近みたAKAKAGEのPVの影響かも。この日はいろんな人が来てくれて、検査もしたけれど、上体をあげるだけで目まいを起こしていたので、自分がどういう状態にあるのか、まだ把握していない。

<つづく>

11月10日〜11月11日の教訓:
人はいつも同一人物というわけではない。




2000/11/13

<1999/5/30>

5月26日もやはり夢を見た。でももうほとんど憶えていない。何か、すごく前向きなことをものすごい長いスパンで考えていたような気がするのだが、忘れてしまったってことは分不相応な考えだったんだな、きっと。窓から見えるのは、病院の建物と、周囲のオフィス。ただ四角いだけのビルばかりだ。デザインと言えば、これもデザインなんだろうな、などと思いつつ、もっと、まったく異なった風景というものを生み出すことができねえのかな、こういうものは建築家とか政治家とか官僚とかそっち方向で大方が決まってしまって、どうでもいいようなカンバンの色とかそんなことだけやってて、デザインなんて言ってても、どうしようもないじゃん、といったところからはじまって、何かとても理想に燃えた青年然としたシャープな夢だったような気がしたんだが、忘れてしまった。

<つづく>




2000/11/15

今日は5月31日。ケガをしてから1週間たった。ようするに、意識を失い、倒れて、アタマをどこかにぶつけて、骨折したんだそうだ。その骨が三半規管だかを圧迫しているせいで、顔面が半分マヒし、平衡感覚もやられているらしく、入院が続いている。仕事はほとんど事務所のスタッフにまかせっきりで、自分は本を読んだり、外を眺めたりしているだけなのでラッキーとしか言いようがない。でも顔の半分がこのまま動かなくなったらけっこうコワがられるんだろうな。

<つづく>




2000/11/16

<1999/6/1>

6月1日。入院してから1週間。体調が戻りつつありやや退屈してきた。病院にあるあらゆる週刊誌、新聞等を読み尽くしてしまったので、事務所のスタッフに本などを差し入れてもらう。まずは、加藤典洋『日本の無思想』(平凡社新書)。オリヴィエロ・トスカーにによるベネトンの広告の話が出てきますが、こういう“一般的な”言説の中でとりあげられるデザインの仕事って、日本にはないですね。レベルが高いとか低いとか以前に「達してない」んだね。

6月1〜2日(つまり夜)。いちおう、仕事に関わるようなこともしている。思いついたカタチをもとにすこしづつ書体化していく。

6月2日。昨日までは、書物とペン、紙だけのアナクロ生活だったけど、今日からはキカイモノが登場する。CD WALKMANだ。ラジオ、TVはない。もちろんパソコンも。差し入れソフトは CIBO MATTO "STEREO☆TYPE A" と lamb "fear of fours"。CIBO MATTOは音楽の幅がすごいっすねえ。lamb はボクにとっては初期GENESISのような、日常とはすこしずれたところで営まれている独特の世界観のようなものが感じられてちょっと新鮮だった。どちらも音楽が本来的に持つ“拡がり”のようなものがストレートに出ていてよかったです。これに比べたら、日本のポップシーンってまだまだ貧しいのかもなあって思いました。

<つづく>




2000/11/24

入院中の日記は今日でおしまいです。『STUDIO VOICE』(1月号・12月発売)の映像特集に、つい先日原稿を書いたばっかりなんだけれども、それが1年以上前の日記に書いてあった内容(そのこと自体を忘れていたわけだが)とリンクしていることに気づき、驚く。日記では雑誌の役割についても言及しているが、これもピッタリ今とリンクしている。奇遇だ。つまり今また新しい雑誌の準備をはじめているわけで、今度は自分で編集までやります。この件については近々告知します。

<1999/6/3>

今日は、新雑誌の準備でM社のYさんが病院まで来てくれた。フィルム・ディレクターのKさん、イラストレーターのHさんも。で、様々なジャンルの才能を結集して、CGや映像の世界を変えていこうというハナシに発展。雑誌というのは、完結したメディアであるより、何らかの「動き」をつくっていくためのステーションとして機能していくことにしか存在意義はない。そう思っているので、今後はこの動きに対して積極的にコミットしていきたい。だって今のCGの世界ってヒドイと思うもん。もっと自由で多様なものであるべきでしょ。フツーに考えて。

今日の差し入れ。TOM WAITS "MULE VARIATIONS"、advantage lucy“ファンファーレ”、NUMBER GIRL "SCHOOL GIRL BYE BYE" ほか。しかし、このNUMBER GIRLっつーのはスゴイな。ワタシはもう37歳だが、20代の頃のまま、独身でアパート暮らしとかしてたらハマッてたかもな。NUMBER GIRLにハマッてる37歳・独身・男性。アパート暮らし。怖すぎ。

…とか何とか書いているうちに、だんだん体調も戻ってきてしまった。そろそろ退院です。




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