2001/09/05

ここ数日に書いたDIARYを読み直してみたら、たんに言いがかりをつけているようにしか思えなかったので、書くならもっとちゃんと書こうと思い、いずれまたちゃんと書き直すことにした。マナーの悪いクルマを走って追いかけ逆に轢かれそうになったりという不穏な事態を起こしがちとはいえ、きわめて温厚でありけっして人に噛みつくような人間ではないので、そこのところ、みなさん、よろしくお願いいたします。って誰に頭下げてんだろうな。




2001/09/17

マンガ喫茶に立ち寄った際に、アジールのサイトを覗いてみた。開設以来、文字の大きさや書体なんかをこちらであまりコントロールせず、見る側の環境によって自由にできるようにと考えてきたんだが、実際に他人が「自由に」設置した環境下で見てみて、ちょっとしたショックを受けた。いや、今までだって、いろんな設定のいろんなマシンを通して見てきたわけだが、なんて言うのか、やはりどうしたって人間というものは、結局のところ自分を中心に、自分の想像が及ぶ範囲内の、似たような環境の住人だけを想定して生きているわけで、そういう想像力の狭さを突きつけられ、そのことにちょっとクラッときてしまったわけだ。まあ時代の流れというものもあるのだろう。このHPの骨子をつくった96年当時に比べ、今ではウェブサイトそのものが格段にコントローラブルになってきている。そうした相対的な環境の変化によって、見る側のために残しておいた自由度というものが、品質管理の悪さのように映ってしまっている面もあるように思う。

ただ、何がそんなにショックだったのかっつーと「こんなに奇妙でカッコワルイ文字組まで許容範囲にしちゃってたの?」とかそういうことだけではなかった。繰り返しになるが、それはそれで当初からある程度覚悟してきたことなのだ。そういうことよりも、形式の崩れ方によって、書かれている文章内容自体がスッゲー情けなく感じられたっていう事実のほうがショックは大きかった。つまり、自分のマシンで確認していると、その大きさや書体に合わせて内容がスンナリと自然に読み取れるよう、無意識に「その形式丸ゴトで書いている」ものなのだ。だから、どうでもいいようなくだらない内容とはいえ、最低限「ま、こんなところで」と形式込みで送り出している(つもりになっている)わけである。しかるに、そのマンガ喫茶で読んだ文章は、他人の目というものを微塵も考慮しないミーイズムまるだしのシロモノにしか見えないのだった。ガーン。

結論。そんなのアタリマエじゃん! まずもって共有されるべき情報の編集を目的としてないHPは、内容という点ではどれもいっしょってことですよ。今書いているこの文章にしても、要するに<ワタシ>に関するものでしかないわけで、それがノーコントロールの環境下に置き換えられると、とたんにその矮小さが白日に晒されてしまうものなんだと。ほら鏡に映った自分の顔って、客観的なものだと思ってるけど、じつは自分の目の位置から見て最適の角度で映るようにリアルタイムで修正して見てるだけでしょ? だから、電車の中とかで鏡見ながら「上目使い〜」とか「横目流し〜」とかやってるのを端から見てて「あ〜あ」って思うんだよね。ちなみに、合わせ鏡にしてみると正面顔のベスト時にどんな横顔になってるかわかってオモロイっすよ。だいたいすげーヘンな顔してるはずですぜ。

というわけで、ここまで来たからには超ミーイズムに突き抜けていくしかないだろうと。今さら他人の目を気にし出してモジモジしててもしゃーないだろうと。もうこうなったら中途半端にではなく、ミーイズムの果てまで行くしかなかろうと。果てへの旅に出るんだと。もうすでに出てるんだと。その前提にあるのは「<ワタシ>というものには基本的に価値なんかない」ってことなんだと。だって、なくても全然困らないですもん。<ワタシ>の価値なんか。でも<ワタシ>を完全に無くするってのも結構ホネで、共有情報に価値を置いている人だって案外隠し持ってたりするんスよ<ワタシ>ってもんを。こんなに正しい<ワタシ>。こんなに面白い<ワタシ>。バランスをとる<ワタシ>。突出する<ワタシ>。そんなふうに結局のところ主題は<ワタシ>のことでしかなかったりするんだ。であれば、簡単に<ワタシ>を払拭したふりなんかするよりも、どっちかっつーと「果てまで」のほうに賭けたほうがいいかも。と思ったりもする。裸踊りを極めるもよし、厚化粧で突き抜けるもよしっつーことで。




2001/09/24

先日、ミーイズムを突き抜けた最果ての人、荒川修作氏と数時間を過ごした。じつにすさまじい時間だった。これほど破天荒にオモロイ存在がごく一部(芸術愛好家・建築業界人・思想系の人々・変人・その他)にしか知られていないとは一体全体どういうことなんだろうか? いや、実際の話。こんなことがあっていいはずがない。この経験は必ずや次号ニュートに反映し、爆発が連鎖することになろう。クリエイターを自称する人々よ!震撼すべし。発行また延びそうだけど。



2001/09/25

話は昨日の続きになるが「ミーイズムを突き抜ける」ってのは要するに個にこだわった結果として普遍に行き着くってことなわけだが、「神は細部に宿る」などと言いつつ小細工に終始してしまうのが凡人の常であって…とかなんとか、これじゃ天声人語のクソコラムとかとなんも変わんねえな。それか筑紫哲也の多事争論とかな。ぜんぜん関係ないけど、筑紫哲也が髪ボサボサでTVに出てきたらそれだけでちょっと尊敬するんだけどな。

まあオレ的には筑紫哲也の髪型問題も重要な案件ではあるんだが、これから戦争が起ころうという時に、なんでみんなあんなに長々とどうでもいい各論に終始してるんだろうか。しどろもどろしどろもどろと。「実戦の可能性のない地域にのみ自衛隊を派遣する」ってなんだよ。前線で無差別爆撃してたらその支援の場所が実戦地域であろうがなかろうがそれに加担してるってことだろう? アメリカは「報復のためには市民が犠牲になってもしかたがない」って言ってるわけだ。それに賛成なのか反対なのかっていうそれだけの話じゃねえのか。賛成なら殺す側に回ることになるし、反対なら前方だろうが後方だろうが支援なんかしちゃいかんだろう。なにを寝ぼけたこと言ってるんだ。なんでいつもいつもそうやってレトリックで誤魔化すような言い方しかしないんだ。

人道的とか言うんだったら「アメリカがアフガニスタンを攻撃した場合には現地の難民救済のためにも自衛隊は派遣する」くらい言えばいい。今回のテロに対する医療支援の申し出にだって「間に合ってる」とか言われたくらいなんだから、いざ戦争にでもなればアメリカは自国の負傷兵のフォローくらい自分でするだろう。アメリカが日本に期待してきたのは極東基地としての役割だけで、現実にそれはもう十分に「ある」わけだ。もともとアメリカはそれ以上の軍備を日本に求めてなどいない。それを求めてきたのはむしろ、アメリカに押しつけられた平和憲法から脱却したい国内の「独立派」だったのだから、日本の軍隊(自衛隊)の発動もアメリカの意志からは独立して考えられるべきものだろうし、国際社会に貢献する方法にしても独自に考えるべきことだろう。論理的にもそういうことにならないか?

アメリカは日本の後方支援なんかなくとも戦争をはじめるつもりなのだし、小泉純一郎の言ってることなど抽象的すぎて僕にはなんのことだかさっぱりわからない。というか、ひたすらどうとでもとれる言辞を弄して、ただただ曖昧なままに戦争に加わろうとしているようにしか見えない。すべての右翼は、こんなにだらしのない「国際協調」の仕方をこそ糾弾すべきなんじゃないのか?

素朴に思うのは、日本の国粋主義者が半世紀前に言っていたこととイスラム原理主義者が今言っていることはどこがどう違うのだろうってことだ。小泉純一郎は、そうした過去の反省のうえにたって今こそアメリカの側に立ちたいと、そう言っているのだろうか。だとしたら、アメリカに押しつけられた平和憲法の破棄を主張してきた人たちなどは、その平和憲法を押しつけた当のアメリカの後方支援を契機に軍備が使用可能になるなどというネジくり曲がった現状を、さらなる屈辱というようには考えないのだろうか。
わからなすぎる。こんなに屈折した行動が「国際的な信頼」に結びつくとは到底思えない。




2001/09/27

こんなところでしたり顔に戦争のことを書いているなんて、これじゃまるで中村とうようみたいだな。そのうちボクらもいろんなことに巻き込まれていくことになるんだろうけど、いつまでこんな呑気な床屋談義を続けているんだろうか。わがことながら見物だ。

タナカカツキによるDVD(本人が焼いた完全インデペンデント・セレクト版)があまりにもよくて毎日のように眺めている。こんなに人の心を揺さぶるものが流通していないなんてちょっとスゴイ。というか、度を越してる。いいんだろうか、こんなことがあって。本人がいいんだからいいのか……ってホントにいいのか? 本人がよくてもやっぱよくない気がするぞ。

あまりのことに、滅多にないことだが、映像とともに流れてくる歌の歌詞まで全部覚えてしまった(耳からなので間違ってる部分も多いと思うけど)。ちなみに、このPVの中でタナカカツキは菊池きみえさんの絵を音楽に合わせて動かしているんだが、意味的にはまったく無関係なのにイメージのうえで完全に同化して見えるのだ。「他に例を見ない」とはきっとこういうことを言うんだろう。それにしても、こんなものを見てしまうと文字伝達というものの非力さに愕然とする。でも歌詞もいいですよ。

冗談半分 本気も半分 顔では笑ってたって
心は泣いてるってさ 頭いいほうじゃないの 鈍感なんです
わかりやすい人と歌っていたい
白い月のタンバリンたたいて ディンダン ディンダン
意味のないことを叫ぶの
白い月のタンバリンたたいて ディンダン ディンダン
誰もまじめに聞いちゃいない(かな?)
傷ついた人 傷つけた人 悪気はなかったホント
それでも許せないってさ 頭いいほうじゃないね 同類なんだ
わかりやすい歌を歌ってあげる
眠れない夜は眠らない できないことはできないと言うの
泣きたい時も逃げたい時も いつも感じて愛を愛を
白い月のタンバリンたたいて ディンダン ディンダン
朝までだって歌えるの
白い月のタンバリンたたいて ディンダン ディンダン
誰もまじめに聞いちゃいないけど




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