2002/04/05

ここのところDIARYがインフォメーション・ページと化してしまっていたので戻すことにする。戻すとか言っても、もともと日記なんかつけてないので、何に戻すのかは不明だが。そも日記は人に開陳するようなものではないし、「DIARYのところ読みましたよ」などと言われるとすこしヘンな気分になる。正直「オレ何やってんのかな」「これってちょっと異常なことなんじゃないか」と思う。最近は、ほぼコンスタントに、日に200人弱の人たちが訪問してくれているけれども、ほとんどのページはめったに更新されないので、多くの人たちはしかたなくここに辿り着いてしまうのだろう。ろくなもてなしもできず、申し訳ないかぎりです。一時期はBBSを開いてましたが、知らない人とのオシャベリは苦手なのですぐに閉じてしまいました。じゃあ、ここでのコトバは誰に向けての、どんな意味がある行為なんだろうか。意味は、たぶん、ない。でも「誰に向けて」というのは、ちょっとあるかな。僕は自分のことを基本的に病人だと思っていて、すべてのデザインも人間の深い業から来る病状の一種だと思っています。病から解放されたい気持ちもないではないですが、今さら人間が他の生命体のようにナチュラルであることはできないわけだし、ていうか、人間の定義ってのはほぼ「ナチュラルでない生き物」のことを指しているわけだから、エコロジストとかナチュラル派とかに胡散臭さを感じてしまうのも、病の重さに自覚がないところで、「オマエは花か!」っていう。なれっこないものを夢想しても、結局、相田みつをだったりわたせせいぞうだったり326だったりになってしまうだけで、そっちのがよっぽどこじれていると言うべきだろう。生まれながらにして病気、一生涯病気ってのは、ありうることだし、その場合、病気とはうまくつきあっていくしかないので、「誰に向けて」というのは、つまり自分と同じような病人に向けてってことですか。しかしそれにしても病気じゃない人間っているのかな。




2002/04/11

最近気がついたことなんだが、私はほぼのべつまくなし眠い。「働きすぎだ」と言ってくれる人もいるが、そんなことはない。私はそんなに働いていないと思う。仕事の量だってそれほどではないはずだし、もっとも忙しくしていた頃に比べると実感としては確実に1/2以下ってところだろう。確かに病的に働いていた時期もあったが、それでも1日は24時間しかないわけだから、今はどう見積もっても日に12時間以下しか働いていない。家に帰れない日も多いが、会社のソファではぐっすりとよく寝ている。そんなにぐーぐー寝てるくらいなら帰ればいいと思うこともあるが、フトンに入ると18時間くらい平気で眠ってしまうので、家に帰っても横になっているだけということが多い。だったらということで会社のソファで寝てしまうだけの話だ。寝る間も惜しんで働いているというのとはわけが違う。しかも睡眠時間が3時間の場合も18時間の場合も同じように眠い。どこかに重大な欠陥でもあるのだろうか。しかも、時間の余裕のあるなしにまったく関係なく、ただずーっと考えごとをしているような時間がままある。これはつまりバカになってしまったということなのか? このまま仕事が減っていってすごーくヒマになったら、おそらく眠い頭で日がな一日考えごとをしていたりするのだろう。その場合、どうやって喰っていくのかという問題は残るが、とってもステキな情景ではある。私がホームレスにならない第一の理由は、殺気だった中学生にいたぶられる可能性を否定できないからだが、それを避けられる確信さえ持てれば道端でだって平気で眠ることになるだろう。それくらい眠ることが好きだ。




2002/04/19

なんか最近、人間がまるくなった(端的に太ったという問題もあるが)気がする。でもそれだとあんましおもしろくないと思えてきたので、今後はやはり丸くなるのはやめることにした。歳とともに過激になって死ぬ間際などにはサボテンのようになってる……ってのがオモロイのではないか。

で、さっそくだけれど、4/18〜20に青山スパイラルで開催されている竹尾ペーパーショーのオープニングパーティに行ってきたんだが、みんなやけに幸せそうなんで驚いた。正直に告白すると、僕は今回提出した自分のグラフィックにまったく自信が持てず、我ながらガッカリしていた。だから、展示されているのを見るのもちょっとツラかった。いいのかよ、こんなもんつくってて。この程度で「今が旬」なんて言われたら恥ずかしいだろう、やっぱどう考えても。と思った。他の人たちの「作品」も総じて陳腐だったと思う。こりゃ驚いた!してやられた!ってものはなかったように思う。

ただし、矛盾するような言い方になるけれども、キュレーションや会場構成は素晴らしく、プロの仕事だと思えた。つまり、個々の「作品」がいくら陳腐でも、そのこと自体の時代性をちゃんとわかったうえで、必要以上に持ち上げず、かと言ってつまらない批評性なんかも持ち込まずに、「作品」が内包するエゴを中和させていたように思えたのだ。これはちょっとすごいことだと思う。それらすべてを抱擁し、訪れた人をシラケさせずに「参加」に導く仕掛けがたくさんあって「さすがだな」と感心した。「新しい時代を担う若手クリエーターの参加」を標榜しながらも、じつのところ作家が主役になっているわけでは全然なくて、あくまで「紙」が主役になっている。これはじつに正しい方法論だ。そしてそのすべては後藤繁雄さんと仲條正義さんの「企て」と「技」によるものだと言っていい。

僕などはもういい歳だが、後藤・仲條コンビの持つこうした「したたかさ」にはまだまだ遠く及ばないなと感じた。他の参加者も同じだろう。要するに未熟なのだ。とにかく、もっとちゃんと「ものをつくること」に対して誠実にならなければと思う。のほほ〜んとした、な〜んも考えてないことからくる素晴らしさってものが世の中には確かに存在する。そんなことくらいわかってる。なにも生真面目たれなどと言っているわけじゃない。でもそういうものがテメエに降臨するかどうかは0.1%にも満たない奇跡だと思ったほうがいい。普通の人間に備わっているべき何かが決定的に欠落しているような、ほんとにぶっこわれたホンモノの○○じゃないかぎりは「ちゃんと」努力するしかないってことだ。

存在をかけて発注してくれれば、どんなに小さな仕事でも、存在をかけて仕上げる。もちろん仕事は待っているだけじゃなく自分でつくっていくものだとも思っているが、まだまだ全然オファーが少ないと感じている。だから、もっともっと仕事がしたい。こちらの表現の発露としてではなく、あくまで、その対象の側が主役になるような仕事を。自分の関与が自分を消し去ることに繋がるような仕事を。




2002/04/20

竹尾ペーパーショーは連日すごい人だったようだ。4/19に書いたことが、訪れた人の気持ちに水を差すようなものであったとしたら本意ではないので、話をもう少し続けよう。

あらためて書くことになるけれど、ペーパーショー自体は成功だったと思う。まず、1Fのギャラリーには「PLEASE(よいことがありますように)」という言葉からイメージして制作された32の参加者によるグラフィックが並ぶ。それぞれのグラフィックは3×3で9分割されたポストカードになっており訪問者は気にいったカードを持ち帰ることができるという仕組みだ。人気の高いものはすぐになくなり、そうでないものはいつまでも残る。健全な原理が働いており、そこに書かれた「経歴」や「受賞歴」などが見事なまでに無化されている。また、参加者の属するジャンルが多様に設定されていたために、狭い業界内の競争などに陥ることもなく、訪問者の側には「選ぶ楽しみ」が用意されていたと思う。キュレーターの「企て」の中で、もっとも関心したのはこのことだ。

「こりゃ驚いた!してやられた!ってものはなかった」とも書いたが、ある意味、そんなものは不必要だったとも言える。展示されているのは「紙」に向き合う訪問者のイマジネーションを刺激するための、ほんの「一例」にすぎないものだからだ。作家的な神話性を剥ぎ取った展示になっている点がこのペーパーショー最大の功績だったということになるわけだが、モノをつくる人間はモノをつくることに向き合えばいいので「陳腐」であることを恐れる必要もないし、突出を目指すことが倒錯に繋がる場合もあるのだとよくよく肝に銘じておきたいと思わされた。当初の予想とはまったく異なる場所から光が差してきたような、そんな思いに捉えられた。

「みんなやけに幸せそうなんで驚いた」などという揶揄は、パーティに招待されてしまう「センセイおよびセンセイに片足をつっこんでいる人間」に対するものだが、自ら情報を収集し、会場に足を運び、展示物を真剣な眼差しで見つめ、紙の手触りなどを確かめている訪問者の姿には心底感銘を受けた。現状に甘んじない「いいモノづくり」をしなければと襟を正された。カードを持っていってくれた人、購入してくれた人に報いるような仕事をしていきたい。

紙素材を使った3Fの製品提案もおもしろかったし、デザイン史研究論文の発表やその他のシンポジウムにも、紙やデザインの概念を広げていくベクトルを感じた。あとは、われわれモノをつくる人間が、自らのスタンスを塗り替えていく作業を続けていくべきだということ、そのことだけが突きつけられている。

「次」の目標設定を喚起する、いい展覧会だったと思う。




ARCHIVES