2002/07/10 |
2ヶ月近くも日記を書いていない。ついに隔月記になってしまった。NEW WORKSの更新も5ヶ月ぶりというありさま。5ヶ月前がNEWか?でもまあ数十億年という星の一生を考えれば……って、これ前にも書いたな。 じつはADC賞というのを取ってしまって落ち込んでいる。「じゃあなんでそんなものに応募したんだよ」と思ったアナタはじつに正しい。受賞したのは『百年の愚行』(WORKSのところにもアップしてあります)という本なのだが、スミマセン、そのことについてちょっと書かせてください。 これはREALTOKYO編集長の小崎哲哉さんとともに長く暖めてきた企画で、ほんとうは20世紀最後の年に出そうと話し合ってきた。けれどもなかなか発行の目途が立たず、NPO組織であるThink the Earthプロジェクト上田壮一さんのプロデュースによってようやくカタチになったものだ。オファーのないところからスタートする仕事というのは、思いのほか大変で、最期の最後に紀伊國屋書店さんが発売元になってくれたからよかったようなものの、それがなかったらいったいどうなっていたのだろうというくらいムチャな企画でもあった。 けれども、なにはともあれ世に送り出すことができた。しかし大変なのはまだまだこれからで、海外版をつくって世界中で売らなければ採算も取れないし、そもそもそういう規模での問いかけを目的にした企画でもあったから、とにかくあらゆる手段を使ってあちこちに露出させていかなければ、自己満足で終わってしまう。そんな経緯があって、新聞でも取り扱ってもらったし、この後も海外の賞などに応募することになっているというわけなのだ。 そんなわけなので、この際、僕が普段からADCに悪態をついているとかそんなことはどうでもいいと。年鑑に出ればそれだけ知ってもらう機会も増やせると。で、ADCにも応募することになったと。それはそれでいいわけだが、ADC賞は企画そのものにではなくアートディレクターに与えられるものなので、僕の名前が露出することになってしまったと。そこがどうしても腑に落ちない。そして、正直ちょっぴり複雑な心境だ。ちょっぴりなので、いずれすぐに忘れてしまうだろうが。 したたかであろうと思えば最初から悪態などつかなければいい。しかしその程度のしたたかさなど、もうどうでもいいと思ってもいる。利用できるものは何でも利用すればいいという、ただそれだけのことなのだから。悪態をつきながらでもね。だってつまんないもんはつまんないんだから。しょうがないじゃん。 しかしそうは言っても、悪態だけではいくらなんでも失礼な話だ。ちゃんとお礼も言わなければ。そしてはなむけの言葉も。 一瞬とはいえ、乗せてくれてありがとう、沈み行く豪華客船、ADC。個々の乗客の中には素晴らしい人たちがいることもちゃんとわかってはいるんです。誰をおとしめたいわけでもありません。ただ、この船はそう長くは保たないですよ。だって、世の中の流れはもっと激しいから。パネルに貼って並べただけのものをいくら観察してみても、それはピンホールから世界を覗いているようなものだから。余計なお世話かもしれませんが、こうした「共同の幻想」とはできるだけ早く決別しなければ気がついた時にはきっともう海の底ですぜ。 「人間はもともと社会的人間なのではない。孤立した、自由に食べそして考えて生活している<個人>でありたかったにもかかわらず、不可避的に<社会>の共同性をつくりだしてしまったのである。そして、いったんつくりだされてしまった<社会>の共同性は、それをつくりだしたそれぞれの<個人>にとって、大なり小なり桎梏や矛盾や虚偽として作用するものだということができる。/それゆえ<社会>の共同性のなかでは、<個人>の心的な世界は<逆立>した人間というカテゴリーだけ存在するということができる。そして、この<逆立>という意味は、単に心的な世界を実在するかのように行使し、身体はただ抽象的な身体一般であるかのように行使するというばかりではなく、人間存在としても桎梏や矛盾や虚偽としてしか<社会>の共同性に参加することはできないということを意味している」(吉本隆明) |
2002/07/12 |
スタッフがかけている音楽にずっと耳を傾けている。ヴォーカルと弦楽器の「間」が、これ以外にはありえないのではないかというタイミングで交差している。バイクの音やカラスの鳴き声がかすかに聞こえる。空調の音も。そのすべてが個人的な体験として定着していき、かけがえのないものになっていくのだろう。音楽ソフトは大量生産による規格品でしかないが、それを受け取る側の体験は、まったく異なる色で染められている。 ところでそれ何のCD?という話はやめておこう。断片的な情報には意味がない。語るのなら届く言葉を用意しなければならないと思うけれど、今はそういうことをちゃんと語る自信もない。 こんなことを書いているのも、ただ風邪気味の体調が原因だったりするんだが。でも耳は異様に覚醒している。逆に、目がちょっと疎かだ。 それにしても、音楽誌なんか読んでいてよく思うんだが、自分たちの専門分野であるはずなのに主観的な印象批評しか書かれていなかったりするのって、あれ、なんなんだろう。 オレ最近○○聴いてるんだぜ。へーそーなんだ。オレなんか○○聴いてる。いいよね、○○。あとオレ最近○○に凝っててさ。あ、○○イケてるよね。じゃあ○○なんかは? いやあ、オレ的には○○はもう過去のものっていうか。 どうだっていいよ、そんな話は。100年後の若者が聞いたらヘソが茶を沸かすぜ。 |
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