2002/09/06

まあ、ダメ人間を自称するのはいいとしても、なんか人前に出ている時の自分像が、自分自身で把握してきたつもりになっていたものと、他人から聞かされて得られる情報との間で、大きな隔たりがあることを知りちょっとショックを受けている。ショックというか大きな懸案になっている。

小学生の頃、録音された自分の声をはじめて聞いて「こんなのボクじゃないやい!」と否定したい気分に駆られた……といった経験は誰しもお持ちであろうが、齢(ヨワイと読む)四十一にもなって「そんなのボクじゃないやい!」もあったもんじゃない。もちろん私はもういい大人なのでそんな言葉を吐くことはないが、突きつけられたこのズレの大きさたるや……いや自分はもっとイイ男のつもりでいたとかそんな話ではない。ダメさの把握という点ではかなりの精度で達成できていたはずなのだ。この場合、把握すること自体が重要なので、それを直そうとかよくしようとかそういう志向もほぼ皆無であるし、すべて属性として受け入れてきたわけだ。が、把握できていないとなると大問題なのである。

小学生時代の「声問題」以来、自己情報の把握技術というものが大きなテーマとなり、その研究に日々研鑽を重ねてきた私だ。顔面をはじめとする全身のゆがみ3D分析、そこから必然的に導かれる歩行異常の確認、その結果としての極度に特徴的な靴底の磨り減り方、整髪やひげ剃りの際に露わとなる全毛穴の方向偏差、左利き特有の非効率的な手の動きから、体臭、睡眠中のいびき・よだれ等々に至るまで、一次情報としてはなかなかに本人が把握しづらいものも、自己/他者=屈折率計算を導入した情報反映法により画期的な成果を挙げてきている。その実績たるやいまだ年3%もの成長を誇る(平成12〜13年度・当人比)。

にもかかわらず、このていたらく。何か根本的なところに問題が生じているとしか考えられない。ここは緊急に、対策委員会の設置が望まれるところだ。なにしろ、こんなにも大きく自己/他者認識が違うということは、様々なる社会認識においても、世間様との間に大きなズレがあるのではないか?

たとえばこういうことも考えられる。ワタシとアナタは同じものを見ている。「この赤、ちょっと濃すぎない?」「そうだね。じゃあ、マゼンダを少し……5%くらい下げてみる?」「ああ、いいね。どう?」「うん。よくなった」。このように、何の矛盾も生じていない会話があるとする。ところが目に映っているものはまるで違い、あらゆる要素が同じ法則によってすべて違っているために、辻褄だけがピタリとあってしまう、というように。ところが、何かの拍子に、せっかく合っていた辻褄が合わなくなってきたのだとすると……。

これはありうる。さっそく調査開始だ。しかし、どのようにして?




2002/09/28

最近また読書欲が高揚してきて何でもかんでも貪り読みたい気分に駆られている。ライブやコンサート、映画などにはなかなか足を運べないことが多く、興味があるものでもつい行きそびれてしまったりしているんだが、とりあえず本は持ち運べるし、時間を気にしないでいいのがとても助かる。なんだかんだ言って、このメディアはやっぱり残るだろう。

その時点では脚光を浴びていてもすぐに古びてしまうものっていうのが世の中にはあって、まあ、ほとんどのものがそうなんだけど、僕にとっては「80年代モノ」っていうのが、かなり痛々しく感じられる。その馬鹿馬鹿しさも含めてリバイバルしたりもしているわけだが、そういうことも含めてどうでもいい。どの時代にも、普遍性を獲得するものはあるし、その時代かぎりで終わってしまうものもあるんだから……なんて、何をアタリマエのこと書いてんのかな。

ADC賞なんか獲ってしまって、あれだけクソメタに批判しておいてなに応募なんかしてんだよとか言われる。実際の話、ほんとカッコ悪いよなあと思ってる今日この頃でもあるんだが、限られた流通の中で制作したものを最大限に浸透させようという協力者の意向に添ったまでの話だから、いちいち反論なんかしていても仕方がない。授賞式にだって出るつもりはないし、ADCがつまらないことになんら変わりはないんだから。つまらないものの話をしているとこちらもつまらなくなるだけなので、この話ももうこれくらいにしておくけど、それ以上でも以下でもないよ。プロジェクトそのものが受賞するべきで、アートディレクターという肩書きの人間だけが受賞対象になってることには、いぜんとして釈然としないが。

でもまあ、どっちにしろ、終わったことをつべこべ言っててもしゃあないわな。どんな賞を獲ろうが獲るまいが、ダメになる時はすぐダメになるし、今はちょっとくらい誉めてくれる人間がいたとしても、そういうことがこれからの何かを保障してくれるわけでもなんでもない。自分自身の仕事のことで言うと、ここらへんで一回死んだほうがいいと思っているくらいだ。というか、もう死んだと思う。このままでは腐っていくだけだ。だから、そんな自分にしがみつく気なんか毛頭ないよ。死人にADC賞。むしろ、お似合いじゃないか。
今はただ、また新しく生まれ変わって、これから起こることにどうコミットしていくか、ということにしか興味がない。それだけだ。




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