2002/12/01 |
重なっていた仕事もほぼ一段落し、雑務な日々。 雑務にも「ピース」を! |
2002/12/02 |
NEUT. 003が今日から書店に並び始めています。オーガナイズした身としてはとってもいい具合に意味不明な出版物になっていると思うんですがどうなんでしょうか。 |
2002/12/03 |
数ヶ月も溜まっていた郵便物に端から目を通すがエキシビジョンのお誘いなど大方は終了してしまっている。メッセージが添えられていたりするのを見ては猛烈な自責の念にかられ、方々に頭を垂れたい思いから何かせずにおれなくなってきたのでさしあたって感冒薬を飲んでみた。そのような行為が何の解決にもなっていないことは言うまでもない。 |
2002/12/04 |
今週の感動。40歳まで現役を通してきた高田延彦の引退試合で複雑な胸中の滲む田村潔司が反射的に出したカウンター。レアル・マドリードの精密機械のようなパスワーク。 |
2002/12/05 |
ハッ、ハッ、ハックショ〜ン!…大魔王。と、クシャミの後に脈絡ない名詞をもってピタリと体言止めするようなことを、いったいぜんたい何の前例もないところでただ思いついたりするものなのだろうか。この先アナタもクシャミをすることがあるだろう。その時、クシャミの直後にそっと「大魔王」と口に出してみるといい。それがいかに不可解で震撼すべきことがらか理解できるに違いない。 今宵、突如わが身を襲ったクシャミから60〜70年代を一歩も超えられていない自分たちの姿に気づかされ、愕然とした次第。 |
2002/12/12 |
朝までに仕上げなければならない仕事をかかえているんだが、今はもう明け方の5時ですが、ぜんぜんできていません。努力してうまくやろうとすればするほどできないのでまずはとっちらかったデスクトップを整理することにしました。 すると、廃刊したデザイン誌『design plex』の「オレ流」というコーナーのために書いた古いテキストファイルが出てきました。『design plex』っていうのはかなり情けない雑誌だったですが、あのような情けなさっていうのは、はっきり言って私は嫌いじゃありません。 なんですかね、この中途半端な評価は。つまり、もうちょっと続いてくれれば完全に「うっひゃ〜!情けね〜!!」ってところに突入していったに違いなく、それを思うと残念でならんのです。そこに行ききってくれれば「はっきり言って私は好きです」と言えたろうにと。 でもこんな言いぐさは「ないものねだり」であって、じつに無責任な放言というほかないですな。だって人に「情けなさ」を期待するなんて。そんなこと言うなら自分こそそこに行ききれ。それがどれだけたいへんなことかわかって言ってんのかと。そんなふうに言われたら返す言葉もありませんね。 で、そのテキストの内容についてですが、まったく忘れていたんですけれども、なかなかいいことが書いてあります。というより何の進歩もないのでびっくりしました。以下、原文ママ。 ● 「なせばなる」って言葉があるでしょう。古くさい体育会臭がプンプンにおう言葉ですね。工夫というものが感じられないので、私は嫌いです。だって、なしたってならんもんはならんですもん。といって「ならんのならなさんよ」といった醒めた考え方をするのもイヤなもんです。じゃあ、どうすりゃいいんでしょうか。 話は突然に飛躍しますが、皆さんは街を歩いている時に突如として大変な尿意や脱糞衝動に襲われることはないですか。私はかなりの頻度で、あります。私は幼少の頃からの躾がなっていない、相当にダメな大人なので、いまだに朝トイレに向かう習慣が身につきません。するとどういうことになるか。まず外出先でのトイレ利用率が異常に高くなりますね。しかし、そう都合よくトイレがあるわけではないので、しばしば危機に見舞われることになります。ところが「今度こそもうダメだ」と思っても、なぜかどうにかなってしまう。そういうことが三十数年間も続くと、どんな事態に陥っても「まあ、なんとかなるだろう」というじつにイイカゲンな精神態度が身についてしまいます。危機を周到に回避するということができず、無闇に外に出してはならないものが肛門のすぐ上に迫っている時でさえ、「オレはいったいどのようにこの危機を乗り越えることになるんだろうか」などと冷静に状況を楽しんでしまう。こんなものが「オレ流」だとしたらかなり情けないものがありますが、事実なんでしょうがないです。 私が今デザインをやっているのも、成り行きです。ただ、私がデザインをはじめた時期にはマックなんか普及していませんでしたから、この場合の「成り行き」というのは、時流のことではありません。言ってみれば脱糞衝動のようなもので、世の中の動向というよりもう少し内的なものです。私は目標を掲げてそれをクリアするということがほとんどできない人間なので、自慢じゃありませんが、志したものはだいたい挫折してます。そんな人間がなぜデザインなんかをやっているのかというと、つまりそれしか能がなかったってことですね。誰に命令されるわけでもないのに、ついついデザインしてしまう。気がつくと頭と手が同時に動いている。アートに行かなかったのは、たんにデザインのほうが自分にとって自然だったから。それだけのことです。そんなわけなので、いまだに「実際のところ、何をやってるんだろうか。いったいこれからどうなっちまうんだろうなあ」という思いで仕事をしてます。で、街頭での脱糞衝動時と同様にそんな状況を楽しんでしまっているという……そんなカンジです。 最近はデザイナー志望者が増えてますよね。でも、頭で考えて決めた人はやめといたほうがいいですよ。ってそんなの余計なお世話ですが。しっかりと頭で考えるタイプのデザイナーももちろん必要です。が、そういう人はむしろプランナーなんかのほうが向いてると思うし、どっちにしても雰囲気とか流行とか考えて始めるのだけはよしたほうがいい。流行なんてすぐに移り変わるし、今二十代だって二十年たったら四十代だもん。流行遅れのデザインしかできなくなってる四十代の自分というものを想像してみるといいです。 なんて人の心配をしてる場合じゃありませんな。「テメエはこれからどうすんだよ」ってことです。どうするんでしょう。先のことはわかりません。でも、なんともならなくなった時にそのなんともならなさを楽しむくらいの覚悟はできてますし、ほんとに腹をくくりさえすればなんであれなんとかなるもんです。なにがなんだかわからない文章ですが、そういう人生なのでしかたありません。 ● 最後に教訓として「なんともならなくてもなんとかなる」とあるんですが、どうなんでしょう。外はもう明るくなってきています。 ところで上の文章には「しっかりと頭で考えるタイプのデザイナーももちろん必要です。が、そういう人はむしろプランナーなんかのほうが向いてると思う」などと書いてありますが「そんなことないだろう!」って言われたら「そんなことないですよね」って私は答えます。「なんなんだよ!」「なんなんですかね」「わけわかんねーよ!」「わけわかんないですね」。 私が言いたいのはつまりだいたいそういうことです。 |
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