1998.4.17.FRI

The 10th KANAGAWA BIENNIAL 葛西薫さんのデザインが好きだ。でも、どこがどう好きなのか、なかなかうまく言葉にできない。僕がデザインらしきことを始めたのはとても遅くて27歳くらいからだが、その頃から一貫して気になっているデザイナーというのは他にそんなにはいない。
子どもの頃から絵を描くことは好きだったし、小学生の頃にはデザインに対する意識も持っていたけれど(違法ラジオ局の開設を企んで、ロゴやポスターなんかをつくったりもしていた。ただ単に背伸びがしたいだけの生意気なガキだったのだ。ちなみに、自分たちの居場所がわからないように「こちらFM明石」などとアナウンスしていたが、ついに電波を飛ばすことはできなかった)。ある時、美大に行ってデザイナーになるという生き方が猛烈にカッコワルイことのように思え、何かもっと全然違う世界で揉まれなければ自分はダメになると思い込んでしまった。それまでは強烈なモダニズムへの憧れと妙なアナクロ意識が同居していたのだが、まあ言ってみればアナクロの方に賭けてみようと思ったわけだ。歳の離れた姉の本棚にあった「マルクス=エンゲルス全集」を持ち出して読んでいた(正確には読むフリをしていた)小学生左翼は、中学・高校と進み、太宰治が若い頃に共産主義の運動にかかわっていたことを知って、ますますその確信を強くしていった。職業革命家という言葉を何かの本の中で見つけて「これだ!」と思ったこともある(笑)。今から思うとなんという時代錯誤だろうか。要するにとっても頭が悪かったのだ。
革命ごっこが完全に終息していることを悟ると、僻地に行って先生にでもなろうと北海道の教育大学に入学した。最北端の漁村に滞在したりして、それなりに充実した学生生活を送っていたが、傾倒していた僻地教育の教授が他界してからは、タコの糸が切れたようになってしまった。気を取り直して教育社会学の研究を志してもみたが、その後は主に、肉体労働なんかをやりながら、長い間フラフラしていた。
そういう長くて暗いトンネルから抜けた時、そこに葛西薫さんのポスターはあったのだ。
(これではなぜ葛西薫さんのデザインが好きかという説明には全然なっていないし、そもそもこんなものはdiaryじゃないってことに今気がつきました。でもつづく…)
1998.4.19.SUN





葛西薫さんのデザイン対して、余白がどうの色がどうの書体がどうのということだけでは何も言ったことにならないと思ったので迂回して考えていたら迂回しすぎて戻って来れなくなった(笑)。簡単に言ってしまえば「なごみ系」ということになるのかもしれないが、スタイルだけで鼻につくあまたの「なごみ系」デザインとはやはり何かが決定的に違う。じゃあ何がどう違うのか。まあまたそのうちゆっくり考えることにしよう。なんで好きなのかを言葉で言えるから好きなわけじゃないし、言葉ではうまく辻褄が合ったのに、気持ちのどこかでしこりが残るということだってある。ただし、感じてるんだからそれでいいじゃんというようには思わない。自分の感性を信じて疑わない人間は山ほどいるが、少なくとも僕は自分の感性なんてたいして信用していない。考えたってわからないかもしれないが、考えることを強いてくるものには必ず何かがある。それだけは確かなことだと思う。
週末は刷り出しの立ち会いに大井町まで行ってきた。4月24日から始まる「移動する聖地」展(初台・東京オペラシティタワー4FのNTTインターコミュニケーション・センターで6月21日まで開催)の大型カタログの色を現場でコントロールするためだ。父親ほども歳の離れた職人肌の従業員の人から、今回のカタログ制作で稼働させている印刷機についての細かいレクチャーを受ける。昼は近くの大衆食堂で飯を喰った。品数がすごいのに驚かされたが、とにかく早くて安くてうまいのだ。「ありやとやしたあー」というオヤジの大声を背に、幸せな気分で店を出た。
1998.4.20.MON





大井町はなかなかいい。安くて早くてうまい店があるというのは大事なことだ。表参道だの渋谷だのはスカした店ばっかでイヤになる。もちろん、いろんな街があっていいわけだが、まずくて高いもんばっかり出すんじゃない!
大洋印刷の大井町工場には何度も足を運んでいるが、うるさいデザイナーがちょろちょろしてても寛大な心で受け入れてくれて、感謝の言葉もない。アナログだろうがデジタルだろうが、また、紙だろうがモニターだろうが、グラフィックはすべて物質を介して人の目に侵入していく。無線で脳に直接画像を映し出す日が来ても、その装置が労働による物質であることはやめないだろう。MITあたりの特権階級のアメリカ人が、アトムからビットへなどと無責任なことを言っているが冗談はやめてほしい。マルチメディアの学校とかバカみたいにつくって大儲けしているヤツらも厳しい現実を隠蔽するな。3Dのポンチ絵描くやつを毎年毎年何千人も何万人も増やしてどうするつもりなのか。
1998.4.22.WED

SONIC YOUTH "A THOUSAND LEAVES"を買ってきて聴く。めちゃめちゃヘヴィな音だ。たとえば「エレカシは売れ線に走ってダメになった」とかいうことを言うヤツがいるけれど、余計なお世話だと思う。彼らは少数の聴き手のディープな(そしてある意味偏狭な)理解よりも、より多くの人の耳に届くことのほうを選んだのだ。マイナーを離陸する際の決意の中には相応の重みがあるし、それだけの力量もいる。ただ、SONIC YOUTHの新作を聴くと、マイナーとかメジャーとかいうことを気にしなければならないこと自体がばかばかしくなってくる。「A」を出さなければ「recycled A」が出せない電気グルーブのスタンスというものを思うと、日本のミュージック・シーンがどれだけミュージシャンたちを追いつめているのかと暗い気持ちになるが、SONIC YOUTHの音と言葉はどこまでも幸福な場所で反響している。ちなみにジャケットの写真はMARK BORTHWICK。彼もまた幸福な写真家だと思う。
1998.4.28.TUE





嬉しがってデジカメを持ち歩いている。熱しやすくて醒めやすい自分の性格を考えると、このマイブームが去るのも時間の問題かもしれないが、あまりにインスタントで、写真のオーラがまるで発生しないところが妙に気持ちいい。きっとデジカメはカメラの親戚なんかじゃない。デジカメのスイッチを押すという行為は、カメラのシャッターを切って写真を撮るというようなこととは何の関係もないんじゃないかとさえ思う。カメラは優秀なスポーツ選手のようにシンプルかつ機敏な動きをするけれど、デジカメは同じ(ような)行為を複雑かつ鈍重な動きで実現している。さっとシャッター(じゃないんだけどね)を押しても「ピー」なんていっててトロイし、その場ですぐに見れるとか言って、今見ていたものが「ジジジジジ」とかってゆっくりモニターに現れるだけで全然スマートじゃない。でもこれはこれで悪くないのだ。紙の上に焼き付けられた画には、どこかウェットな人間臭さがつきまとう。スポーツが人間の物語にすり替えられて語られてしまうのにちょっと似ていると思う。それを楽しめる時もあれば、鬱陶しい時もあるってことだな。何も言っていないに等しいジジくさい結論だが。
オリジナルの「少年ナイフ」も好きだし、小山田圭吾の「少年ナイフ」MIXも好きだ。でも、両者に対する「好き」の種類はまるで違っている。そういうことかもしれない。


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