1998/09/17 |
今やっている仕事で、とても気に入った仕上がりになっているものがある。事情があって、それが何かはまだ言えない。言えないなら書かなきゃいいんだが、やはり書きたい。具体的なことが書けないので、いきおい話は抽象的になる(そこがいいような気もする。今は皆、抽象的な話を嫌うけれど、じゃあ具体的な話…つまり情報満載ってやつ…がそんなにおもしろいかっていうと、そうでもなかったりする。たとえば、レコ評でも何でもいいんだが、植草甚一さんとかが活躍していた時代とは違って、言語というものにそれほどの影響力がなくなっていることは皆知っている。今、ある対象について語ることで得をしているのは、たいがいの場合、対象のほうではなく語っているほうなのだ)。 何がそんなに気に入っているのかというと「自分のやったデザインが」ということではない。僕がやったことは、ある明解なコンセプトを邪魔しないように、物質としての特徴を際だたせるという、ほんのお手伝い程度のことだ。紙を選んだり、インクを選んだり、余白をコントロールしたり、文字の使用を抑制したりというように。しかも、その判断すら、僕がひとりで決定したというよりも、プロセスの中で自然に導き出されたことだったのだ。気に入っているのは、実はそのプロセスに対してなのかもしれないが、それがちゃんと物質としての佇まいにまで反映しているという点で、いい仕上がりだと思っている。 こういうものができた時、「モノをつくる」のはやっぱり楽しいことだなと思うのだ。 |
1998/09/22 |
今日は、とある事務所を訪ね、とある人物に会った。何をしに行ったかというと、お話をしに行った。そして、すごくいいものをたくさん見せてもらい、いい話も聞かせてもらった。その人が活躍しているジャンルは、まだ若い。そして、NEXTに飢えている。 僕らには、まだ何もできていない。僕らはまだ何もやっていない。そういうことが、はっきりとわかった。 |
1998/09/24 |
仕事が忙しくなると、ヒトとしてやらねばならないことが疎かになる。眠れない。起きれない。約束が守れない。生返事が多くなる。後片づけができない。床屋に行けない。鼻がきかなくなる。ライターが100コもたまる。怒るべき時に怒れず、我慢すべき時に我慢できなくなる。まっとうな人生がどんどん遠くなっていくようだ。 |
1998/09/30 |
いろいろと重なっていた仕事が一段落した。それはいいんだが、自分の人格的な欠陥が忙しさによるものではないことが明らかになって、ちょっと困っている |
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