1999/03/01 |
ポピュラリティということについて、まだまだ思うところがあるので、続けて書いてみたい。 僕には子どもがいるので、本を読んで寝かしつけるということをたびたび経験してきた。言葉を理解しはじめる時点で、子どもの好奇心は全開する。というか、それ以前にも好奇心はあるのだろうが、さすがにそこのところは理解できないので(丸いものにやたらと反応するのはなぜなのか?)、言葉とともに何かが一気に溢れ出てくるような印象を受けるわけだ。彼の中では、「言葉を修得する」というような単純な言い方では捉えきれない何かが起こっているのだろう。あらゆるものと直に繋がるために、次々と言葉を「思い出している」ような、そんなカンジ。「学習」とか「成長」とかいうような理解の仕方では到底わからない世界のつかまえ方。その広がりは、「こんなところだろう」といったこちらの予断をはるかに超えている。せがまれるままに本を読み聞かせる(あるいは言葉をかけながら絵本をいっしょに眺める)という行為は、彼が世界をつかまえようとするその仕方につきあうためのごく一部のことにすぎないが、それでも、同じ繰り返しの中にすら毎回違う反応があり、こちらの興味も尽きることがない。 子どもが読んでくれとせがむ本の種類は実に様々で、時のヒーローもの・アニメ・子ども番組の類から、宇宙だの人体だのについての科学もの(不思議なもので、毛利子来の医療関係の絵本なんかも好きみたいだ)、クルマ・電車・飛行機といった乗物関係、怪談に昔話、あといわゆる創作絵本というやつ、といったようにほとんどなんでもありだ。そんな中で、とても長持ちする本というものがある。福音館書店の「子どもの友」。このシリーズは何十年も続いていて、本当によくできている。 その中に、片山健が描いている「こっこさん」のシリーズがある。片山健は、70年代にはシュールな画風で知られていた人だ。彼の子どもに対する眼差しの鋭さは、「いる子ども」(パルコ出版)や「どんどんどんどん」(文研出版)といった画集や絵本を見るとよくわかる。一方、「こっこさん」は子どものための普通の絵本で、「大人の常識を覆す」ようなことを目的にした本ではない。にもかかわらずというべきか、だからこそというべきか、そこには誰も描けなかった子どもの時間がしっかりと流れているのだ。昼寝から目覚めた時に誰もいなくなっていた家の中のガランとした空気、夜眠る前のただならぬ静けさ、友達との間で変化する微妙な距離感といったものが、ごくごく普通に淡々と描かれている。 たぶん、「こっこさん」のシリーズはロングセラーになっているはずである。子どもは繰り返しこのシリーズを寝床に持ち込んでくる。これらの絵本は僕自身にとってもかけがえのないものになっているが、「大人も子どもも楽しめる」なんて言葉で言うのは簡単だけれど、ほとんど奇跡的なことだと思う。そして、こういった絵本の存在の裏には、必ず優秀な編集者の存在がある。もっと言えば、作家と編集者がタッグを組む場を確保する経営者の存在も不可欠だ。福音館書店はそういう奇跡的な関係の場ではないかと思うのだ。 佐々木マキの絵本も、子どもは繰り返し持ち出してくる。僕も好きだ。長新太のものもよく読むが、これはどちらかというと僕が好きで読みたがるので、子どももそれにつきあってくれているというところが多分にあるかもしれない。読む人間が嬉しそうにしているのも悪くないのだろう。なにしろナンセンスで、いったいどうしてこんなものが流通していられるのかいつも不思議に思う。絵本の世界は広く、深い。 その一方で、僕が一番つまらなく思うのは、アーティストと呼ばれているような人間の描いた絵本だ。なんとか絵本大賞をとったとかいうようなことが帯にでかでかと書かれたりしているのだが、おもしろくもなんともない。こういう人たちは絵本をなめてかかっているんだと思う。自分はアーティストだから何をやってもアートになるんだという一種の安全圏で仕事をしているからだろう。本人はそれでも楽しいのかもしれないが、こちらには何も喚起されものがない。こんなセンセー仕事を野放しにして、とにかくエライ人なんだからというようになんでも言いなりになり、そういう本を文句も言わずに出版してしまう人間も、それを芸術だのなんだのと褒め称えてしまう人間も、本当にダメな人たちだと思う。絵本には、肥大した自意識のさもしさといったものも全部出てしまう。ポピュラリティということを考える時、絵本の世界はひとつの試金石になるような気がする。それくらい難しい表現分野だと思う。 ところで、よく「子どもが純真無垢だなんてウソだ」というようなことを言う人がいるけれども、まず、そもそも子どもが無垢だなんていったい誰が思ったり言ったりしているんだろう。「子どもは純真無垢」などという言い方をする人間がまわりにいないのでわからないが、少なくとも僕はそんな抽象的な言葉で子どものことを考えたことはない。自分には絶対にない発想に驚き、もう記憶の中からすべて消えてしまったけれども自分もこんなふうに世界を見ていたことがあるんだろうかと唸らされることはある。子どもと接してしると、そういうことが日常的に次々に起こるわけだが、それはすべて具体的な出来事であって、とても「子どもは純真無垢」なんて言葉に収斂されてしまうようなことではない。そういう経験の中で、「自分が今信じている常識なんてものはたかだか数年のうちに形成されたとても脆弱なものだ」というように、子どもがいなければ決して考えなかったであろう哲学的な内省を思わずしてしまったりもする。ただ、当の子どもにしたところで、つい数ヶ月前にはすごいことを言ってたと思ったら、すぐに大人と大して変わらないことを言い出したりして、こちらは無闇に翻弄されてばかりいるというわけだ。 「子どもは純真無垢」という言い方が空虚なのは確かだが、それを仮想敵のようにして「子どもが純真無垢だなんてウソだ」なんて言っている人間も、どこか現実離れをしてしまっているような気がする。子どもって何なのか、僕にはまだよくわからない。けれど、子ども向けの本やテレビ番組などの、どういうものが誠実であり不誠実であるのかは、おぼろげにわかるような気がする。目の前で起こっていることに対して予断からではなくあくまで具体的・個別的に対応しようとしているか、あるいは子ども相手だからと高を括って自分のつまらない思いこみを押しつけようとしているか、というようなことだ。子ども向けの絵本、子ども向けのテレビ番組(テレビについても、また機会があれば書いてみたい)は、つくり手の精神やその人が思い描くポピュラリティの質といったものが根底的なところで暴かれてしまう一種の戦場のような場所にも思える。 |
1999/03/02 |
今日あたりから怒濤の入稿が始まる。次に更新するのは、またひと月先くらいになるだろう。その時には、JIGSAW MENSWEARのカタログ(カメラマン石坂直樹らと沖縄へ。地元の少年・基地の夜景・石油コンビナート・花街・水牛・ハブなどを撮影してきました)、ケンイシイのニューアルバム(島根で撮影の予定)、VIBEロックフェス「ORANGE BALL 2」ポスター(写真は原美樹子)、スペースシャワーTVフリーペーパー「タダダー!」(4月号・表紙は横山豊蘭の書)、「COMPOSITE」(3.25・アムステルダム特集)なんかをNEW WORKSのところに並べておきます。 |
1999/03/11 |
編集プロダクションA社のOくんから「子供ニュースの最先端を行ってらっしゃる佐藤さんに」ということでメールをもらう。別に「子供ニュース」になんか詳しくないですけど。まあそれはいいんだが「200万枚突破『だんご三兄弟』の向こうを張る、超便乗商品『だんご三姉妹』はご存じですか? 国分寺で団子屋を経営している元プロボクサー輪島功一の考案でもの凄い売れゆきだそうです。ちなみに姉妹だけに三色のカラフルなカラーリング。パッケージにはちゃんと特性シール付でなかなか凝っているということです。お子様といかがですか?」とのこと。「お子様といかがですか?」は余計だが、なんともいい話ですなあ。 Oくん、こんなところで勝手に情報流しちゃってごめん。これに懲りずにまた最新情報お願いします。 |
1999/03/11 |
ところで、私の最近のマイブームはNHKアニメ「おじゃる丸」です。って、やっぱ「子供ニュース」だな。じゃあ、今日は「老人ニュース」をひとつ。っつっても全然ニュースじゃないんだけど、これはスゴイよ。武者小路実篤さんです。では、どうぞ。 「 ますます賢く 僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。 人間もいくらか老人になったらしい、人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くもなったかも知れないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事はわからない。 しかし人間はいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でもあるようだが、事実と一緒に利口になったと同時に少し頭もにぶくなったかも知れない。まだ少しは頭も利口になったかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れない。 ともかく僕達は少しは利口になるつもりだが、もう少し利口になりたいとも思っている。 皆が少しずつ進歩したいと思っている。人間は段々利口になり、進歩したいと思う。皆少しずつ、いい人間になりたい。 いつまでも進歩したいと思っているが、あてにはならないが、進歩したいと思っている。 僕達は益々利口になり、いろいろの点でこの上なく利口になり役にたつ人間になりたいと思っている。 人間は益々利口になり、今後はあらゆる意味でますます賢くなり、生き方についても、万事賢くなりたいと思っている。 ますます利口になり、万事賢くなりたく思っている。我々はますます利口になりたく思っている。 益々かしこく」 僕も今後はあらゆる意味でますます日記を書きたいと思っているが、あてにはならないが、いろいろの点で少しずつ万事日記を書きたく思っている。しかし本当の事はわからない。 |
1999/03/12 |
S:あのー、デザインの話がしたいんですけど。 N:はじまったよ。したくないな、そんなもんは。 S:そんなこと言わずにしましょうよ。 N:したくねーよ。そんな暇があったら仕事しろよ。 S:してますって。営業だって、打ち合わせだって、プレゼンだって、ディレクションだって、お金の計算だって、少なくともあなたよりはしてる。 N:どういう意味かな。オレはおまえみたいにぐだぐだぐだぐだおしゃべりなんかしないで黙々と手を動かしてるんだけどな。 S:いや、だから手を動かしながらもちょっと説明を…。 N:なんの説明が必要なんだよ。見りゃわかるだろ。やったまんまだよ。 S:わかりませんね。全然わかりません。なにやってんですか? N:なにやってんですかって…。デザインだろ。 S:デザインを。ほー。デザインて何? N:あのねえ、うるさいよ。そんなこと言ってると気持ちわるがられて仕事来なくなるよ? S:そんなことないです。大丈夫。 N:随分自信あんだな。 S:だってね、手なんか動かすより頭使うことのほうが大事だもん。 N:しかし、おまえの頭の使い方はちょっと違うと思うよ。常磐さんとかさ、GRVの伊藤さんとかさ、ああいう人は頭いいなあって思うけど、おまえの場合、すごい非生産的なんだもん。なんかぶつぶつぶつぶつ言ってるだけで、ちっとも形に反映されてねえじゃねーか。 S:生産性なんていいじゃないですか、そんなもんどうでも。 N:よくねーだろ。頭使うんなら、もっと儲かるようになんか考えろよ。 S:……。 N:結局さ、オレとかスタッフとかが馬車馬みたいになってつくったもんを見てもらうしかないわけだろ。 S:つらくない? N:別につらくなんかねーよ。好きでやってんだから。 S:あのさ、デザインなんてさ、そのうちなくなるよ。 N:どういう意味だよ。 S:いや、別に深い意味はないんだけど。 N:足を引っ張りたいわけか? S:そんなわけないでしょう。私たちは一心同体なんですから。あらゆる事態を考えてるだけですよ。 N:そんな極端な事態考えなくていいよ。それより、もっとはっきりしたビジョンとかないのか。 S:うーん。なくはないんだけど、幼児体験に問題があるみたいで、どうしてもこう、考えが迂回してしまうという…。 N:やっかいな奴だなあ。知らないよ、そんなおまえの幼児体験なんか。 S:でもさ、デザインってそういうことから切り離された上っ面でしか評価されないのがどうもなんか腑に落ちない。 N:だってそういうもんだろ、デザインってのは。やだよ、そんなおどろおどろしい内面とか深層とかそんなもんが表現されてたら。そんなもの吹き飛ばす力があるんだよ、デザインには。なんかイイカンジとかさ、ガーンっと一発強いとかさ、そういうことだけでいっちゃえるところがデザインのいいところなんだよ。おまえ、ホントは頭悪いんじゃないの? S:そうとう悪いですね。 N:そんなこと肯定されても困るんだけどな。 S:いや、あなたの言わんとしてることはわかります。最終的にはいいんです、それで。 N:じゃあ、いいんじゃねえか。 S:いや、一般的にはそれでいいんだけど、私としては困るんです。私はそんなことのためにデザインを始めたわけじゃない。 N:あ、そう。そうね、おまえがもうちょっと頭よかったらオレはもっと先に行けたと思うね。 S:その先は地獄かも。 N:いいよ、地獄でもなんでも、別に。 S:今ね、新しい企画考えてるんだけど。なんか新しいメディアをつくるっていう。 N:メディアって何だよ。 S:雑誌でも何でもいいんだけど。 N:雑誌はもういいよ。 S:いや、エディトリアルデザインの受注とかの話じゃなくて、企画から編集まで含めて一から全部やるって話なんだけど。 N:えーっ!? どうやって。できんのか、そんなことが。いいかげんなこと言ってんじゃねえぞ。 S:いや、今までだってさ、できるとかできないとかで始めたことなんかひとつもないわけだし、やるんだって思ってたらそうなっちゃうもんだから。だから、気がついたらやってるよ、きっと。 N:うーん…。 S:受注ばっかで仕事してると考えられなくなるんだよね、そういうことが。おれはデザイナーだからデザインだけやってりゃいいんだあとかって。 N:うー、随分いやな言い方するじゃねえか。で、何の雑誌をやるわけ? S:デザインの雑誌ですよ。 N:採算取れんの? S:なんか考えるよ。 N:編集は誰がやるの? S:私が。で、デザインをあなたが。 N:何言ってんだよ、本人じゃねーか。 S:大丈夫。最近、一人3役くらいまでなら目途がついてきたから。 N:さ、3役…。 A:こんにちわ。 N:だ、誰だ、貴様は…。 A:いや、3役目ですけど。 (つづく) |
1999/03/16 |
(3/12よりつづく) S:あらためて紹介しましょう。マーケティング担当、Aさんです。 A:どうも。 N:はあ、どうも。って、何だよ、こいつは。 S:いや、デザインってのはビジネスですから、あなたみたいにただ手を動かしてりゃいいってもんじゃないし、私みたいに口ばっかり達者になってワケのわかんないこと言ってるばかりでもいかんだろうと。 A:まいど。 N:まいどって。別にマーケティング担当なんか必要ねえだろ。 S:いやいや。まあ、そういう一途なところがNさんのいいところ、ということにしておいて、話をすすめましょうか。 N:こら、勝手にすすめんな。おれはマーケティングも嫌いなら、おまえみたいに理屈こねくりまわしてる奴も大嫌いなんだよ。おまえら、絶対にデザインってもんを勘違いしてる。おれはただやりたいようにやってるだけなんだ。なんでほっといてくれねえんだ。 S:なんでですかねえ。あなたがそういうふうにデザインとすっきりつきあいたいってのはわかります。わかりはしますが、デザイン自体がそんなに単純なものではないのだから仕方ありません。あきらめてください。 N:いーや、あきらめねえな。デザインってのは単純なもんだよ。おまえらが言うようにそんなめんどくせーもんじゃねえんだ。おまえらみたくめんどくさい奴らにとっては、文学だって音楽だって映画だってなんだってぐちゃぐちゃしためんどくさいもんかもしれねえが、おれにとってはもっとわかりやすいハッピーなものなんだ。ああ、そうだとも。めんどくさいデザインがあるわけじゃない。おまえらがめんどくさくしてるだけだ。 S:いや、なかなかいいことを言う。 N:くそぉ。他人事みたいに言いやがって。消えろ。今すぐ消え失せろ。 A:あのー。 N:なんだこの野郎、ぶっ殺すぞ。 A:いや、ごめんなさい。まあ、必要がないとおっしゃるならすぐにでも退場しますが、ちょっとだけ。 N:ちょっとだけなんだ。 A:僕は確かにSさんに呼ばれて登場したけど、必ずしもSさんサイドにつくつもりはないんですよ。 N:じゃあ、なんなんだ。何しに出てきたんだ。 A:僕はキミをサポートしようと思ってるんだけなんですけどね。キミは思うままにデザインがしたいわけでしょう。だったら純粋にそれだけ考えていればいいですよ。めんどくさいことを考える必要などまったくない。ただ、キミはそう言いながら、随分といろんな人に気を使ってデザインしてるじゃないですか。僕が見ている限り、キミは本当には自由じゃない。いつもどこかでセーブしている。違いますか? N:そんなことか。そりゃそうだよ。おれはただわがままを通したいわけじゃない。何かを皆と共有したくてやってんだよ。ただ、それは説明できないことなんだ。説明してる間に蒸発しちまうようなことなんだよ。だから、こんな話につきあわされてること自体、おれにとっちゃ何の意味もないことなんだ。なんでその形なのか、なんでその色なのか、その答はその中にしかない。そう思ってやってきたし、それが間違っていなかったからこそ、今まで仕事が続いてきたんだと思ってる。おれはほんとに言葉が嫌いだ。説明が嫌いだ。言葉はウソをつく。説明は一面でしかない。そのくせ、すぐに支配したがる。おれは最初から言葉にうんざりしていた。子どもの頃からずっとだ。言葉から逃げて逃げて逃げ切るために生きてきたんだ。 A:だったら絵でも描いてればよかったのに。 N:そんなのは余計なお世話だよ。あんたも随分ナイーブだな。絵は自由でデザインは不自由だとでも言うのか? 世の中のしがらみから完全に自由な場所なんてあるわけないじゃないか。絵を描こうが詩を書こうが野菜を売ろうが同じことだよ。中身に関係なくうまいこと言ってる奴らに対して、絶対そうじゃない、違うんだってことを示して見せるしかやり方はないんだ。それがすべてなんだよ。 A:いや、そう思う。その通りだと思うよ。でもさ、絵を描く才も、詩を書く才も、野菜を売る才もない人間はどうしたらいい? 第一、言葉ってのはそんなに悪さばかりしてるわけじゃないよ。キミはマーケティングが嫌いだと言ったが、それはキミが悪いマーケティングしか見てこなかったからだ。幸か不幸か、僕たちは様々なマーケットに囲まれて生きている。いや、僕たちにとって、今や世界とはマーケットのことだよ。そうじゃない、人間にとって大切なのはお金なんかじゃないんだと言う人もいる。でも、お金を受け取ることもお金を使うことも、もっと大切なことのために便宜的にやっているにすぎないんだから、それは何と言っても同じことさ。お金自体のことを悪く言っても意味がない。たとえば、飢えて死にかけている人間が目の前にいるとしよう。キミがその人間を救おうと思えば、さしあたって、ポケットに入ってる小銭を食べ物に変えて渡すしかない。好むと好まざるとに関わらず、それしか方法がないだろう? 一方に食べ物が余っている。そして、一方に飢えて死にかけている人間がいる。それは何かがうまくいってないってことだ。じゃあ、金銭の介在を全廃にすればすべて解決する? ポルポトがやったみたいに? まさか。お金の問題は大事だよ。そして、その流れについて徹底的に考えるには、言葉が必要なんだ。お金の流れを変えていくってことは、キミが言う「ハッピーになること」のひとつなんだよ。そういう意味で、Nくん、キミと僕とはそれほど考えが異なってるとは思えないんだ。それよりも、Sさん、あなたはもう少し大人になるべきだな。あなたは自分の欲望をどこに向けていいかわからなくなってる。ビジョンもなければ方法論もない。 S:いや、何も返す言葉がないざんす。 A:雑誌なんてダメだよ。禁止。 S:そんな。 A:ここで発散してたらいいよ。 S:私から分離した身で、何という言いぐさ。それがマーケティング担当の言うことですか。雑誌って言ったけど、何も今までのスタイルに固執することはないわけじゃない。ウェブジンだってメディアミックスだって何だっていいんだから。 A:ああ。そういうこと。なら考えようか。じゃさっそく実行に。 S:え。そんなすぐに。 A:そりゃそうだよ。僕はあなたみたいに悩まない。えー、ここまで読んで来られた方で、ASYL design 新メディア準備室ウェブ部門に参加希望の方、メールください。当面はボランティア。ただし、ASYL design アートディレクションによるウェブ制作の受注仕事をお手伝いいただくことでギャランティーをお支払いする所存です。以上。 |
1999/03/19 |
前回「ASYL design 新メディア準備室ウェブ部門」の参加希望者を募ったところ、さっそく何人かの方からリアクションをいただきました。ありがとうございます。募集は今後も引き続き行っていきますので、どしどしお問い合わせください。 現時点での僕の構想を簡単にお話しておきます。「メディアをつくる」ってのは、そのこと自体を楽しもうってこともあるんですが、自分たち自身でマーケットを開拓してくための<場>を持とうってことなんです。デザインの仕事をやっていて、いろいろと疑問とかが出てきた時に、そのこと自体を論議の対象にしてもしょうがない。実際に、具体的に、変えていかなきゃ、堂々巡りになってしまう。「デザインってなあに」って問いには、「たとえば、こういうことだと思うよ」ってアクションを起こしていかなきゃなんない。しかも、それをビジネスとして成立させるところまでいかなければ意味がないと思ってるんです。 僕自身は今のところグラフィックで喰ってるわけですが、当然のことながら、デザインってのはグラフィックだけで完結してしまうもんじゃないし、スペース、プロダクツ、ファッション、アドバタイジング、エディトリアル、ゲーム、映像、音響、etcといった様々な分野で活躍してる人たちともコラボレートできるような、自前のビジネス・フィールドをつくっていきたいわけです。 そのために、ウェブというのは今までのメディアにはない大きな力を発揮するはずで、ウェブ自体のデザインについても一から考えていこうと。そんなわけで、現実的な「最初の一歩」としてウェブジンを中心にした活動を開始しようと思うようになったんですが、すでにこの段階で、各分野での技術や経験とともに、新しい<場>を創造していくための知恵を提供してくれる方がいましたら、是非、ご連絡ください。 |
1999/03/27 |
S:呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん。 N:……。 S:て、誰も呼んでへんちゅうねん。 N:……。 S:ほんで、これのどこが日記なんじゃ、こらーっ!! N:……。 S:いや、じっさいの話。 N:……。 S:もしもし? なんかずーっとIllustratorやらPhotoshopやらいじってるみたいですけど、もう夜が明けてしまいましたがな。 N:……あー、やっと終わった。あれ、時間が止まっとんぞ。 S:何ボケかましてますねん。丸一日24時間やってましたんやろ。 N:なんや、おったんかい。 S:おったんかいはないでしょ。ほなさっそくデザインの話でもしましょか。 N:アホぬかせ、なんで徹夜明けでそんな話せなあかんねん。 S:なんでて、今日は関西弁やし、しゃべらんわけいきませんやろ。 N:どういう展開や。 S:いや、ワタシ気づいたんですわ。アンタのその屈折したデザイン観には、関西と関東という異なった文化圏でごっちゃに育てられたっちゅう複雑な背景があると。 N:適当言うな。誰が屈折してんねん。屈折してんのはオマエやろ。 S:いやいや。ワタシはこう見えても健全ですよ。アンタほど偏執狂ではないし。 N:健全な人間がこんなワケのわからん会話するかえ、どアホ。 S:まあ、いずれわかりますて。 N:何がいずれわかるんや。ええかげんなことぬかすな。オレは忙しいんじゃ。昨日ぶっとおしで新しい英字書体ひとつつくってみたんやけどな。この勢いでこの後もうワンセット作りたいんや。 S:アンタ死にますで、そんなことしてたら。明らかにビョーキや。死に至る病。キルケゴール。 N:そんなこと言うててなんかおもろいんか。 S:いや別におもしろくはないですけどね。アンタに比べたら軽いもんですけど、これも一種のビョーキですねん。 N:ケチくさいビョーキやのう。 S:ビョーキなんかケチくさいにこしたことおまへんがな。だいたいなあ、ワタシばっかりがなんや頭のおかしい人間みたいに扱われてますけど、アンタらのほうがよっぽどズレてますで。 A:アンタらとは聞き捨てならんな。ワシはキミらを救うべく誕生したんや。 N:かー、またややこしい奴が出てきよった。しっかしオッサン、アンタなんでいっつもそんな偉そうやねん。このオッサンが一番の悪党と見たな。だいたい、「ボランティア募集」とか言うといてからに、わざわざ応募してきてくれた人間に「何ができるんや」「どんだけの覚悟があるんや」言うてすごんどるんやで、このオッサンは。あきれた話や。 A:悪党でけっこう。ワシは甘っちょろいの嫌いやねん。人にクソメタ言われたくらいでへこんでたら商いなんかでけへんやろ。どうでもええけど、ええかげんこんな長い前振りはやめなさい。仕事の話に入るで。 N:話もくそもあるかえ。オレは手え動かしてたらそれでええんや。「ASYL design 新メディア準備室ウェブ部門」かなんか知らんが、そんなに話膨らましてどないするんや。 A:ほんなら逆に聞くけど、キミいつまでそんなことやってるつもりや。 N:いつまででもやったるわい。わしゃ死ぬまで職人でええんじゃ。 S:そんなこと言うてほんまは寂しがりやのくせに。なあ。 N:ちゃちゃ入れんな、アホんだら。だいたいなあ、マーケティングがどうしたこうした言うてる奴がボランティアとか集めとってええんか。 A:キミにそんなこと言われたないな。デザイナーの仕事て、時給に換算したらマクドのバイト代にもならへんやないか。休日に不休不眠でメシも食わんと24時間働くのがまともな仕事て言えるんか。今はボランティアて割り切って最終的にビジネスとして成立させること考えるほうが建設的やろ。 N:別に今のまんまでもええやないか。誰に迷惑かけてるわけでもないやろ。 A:いいや、迷惑やな。そんなこと言うてるから後続の人間まで我慢せなあかんねやないかい。ほんまにデザインが大事なんやったら、それなりの環境が用意されてしかるべきや。どう考えても今のありかたは異常やで。 N:オレはそういう考え方嫌いやねん。ビジネスかなんか知らんが一般論みたいなこと言うてるからつまらんもんになるんや。極道でええんじゃデザイナーは。 A:それならそれでええやろ。勝手にやっとったらええわ。こっちはこっちで好きにやるしな。 S:ほんでワタシはどないなりますんやろ。 A:ああ、キミな。一番困った存在やな。 S:そうそう。語り得ないものと言いますか、暗黙知の次元と言いますか。 A:そうやって言葉とじゃれとるからあかんのや、キミは。なにが「語り得ないもの」や。のべつまくなし語っとるやないか。 S:相変わらず手厳しいですな。 A:当たり前や。だいたいキミかてデザイナーの端くれやねんからそういう小難しい話すんのやめたらどうや。なんかキミは臭うんや。似たようなビョーキの人間が嗅ぎつけてくると困るから、体質改善しなさい。 S:臭う言うたら一色紗英ちゃんに「あなたの口はペリカンみたいに魚くさい」言われる夢見ましたで、昨日。ヒヒヒ。 A:その下品な笑いやめんかい! 想像以上に病んどるな、キミは。なんちゅう夢見とんねん。デザインと何の関係もないやないか。 S:で、言われたとたんに口がこうペリカンみたいになって、その中を魚がバシャバシャバシャ…… A:夢の話はもうやめ! S:さよか。ウェブジンの企画の話もありますねんけど。 A:もうええ。 S:まあそうおっしゃらずに。いや、前からおっかしくておっかしくてしゃあないことがあってね。プッ。 A:なんや。そんなおもろいんか。 S:ププッ。 A:なんやねん。早よ話せよ。 S:業界の人、クリエイティブとかクリエイターとかて言うやないですか。 A:言うなあ。 S:おもろいでしょ。 A:そんなもんのどこがおもろいんや。アホか、おまえ。 S:いや、なんでわかってくれへんのかなあ。「わたし、クリエイティブ局の者ですが」。プププッ。「こちら、クリエイティブ・ディレクターの……」。うひゃひゃひゃひゃ。たまらん。 A:……。こいつどないしたらええんや。 N:そんなん急に振られてもなあ。 S:ほんならこれどないだ? 「わたくし、クリエイターのSです。よろしく」。 A:そんな挨拶があるかぇ。 S:でも使てますやん、業界の人。クリエイターとかって平気で。クリエイターって創造者=神様の意味でしょ? バチあたりますでそんなこと言うてたら、いくらなんでも。それに、クリエイティブ局はないでしょ、クリエイティブ局は。どんな局やねん。 A:まあ、ちゃかしたいのもわからんことないけど、それのどこが企画やねん。 S:いやね、自分で自分のことクリエイター言うたり思たりするんは、やっぱりビョーキやと思いますねん。ビョーキやったら診察せなあかんでしょう。 A:余計なお世話ちゃうんか。 S:いやいやいやいや。だってぎょーさんいてはるんですよ。一人や二人やないんやから。八百万(やおよろず)の神言いますけど、そんなん800万人もおったら困るやないですか。 A:そんなにおらんやろ。 S:いや甘いなあ、Aさんは。老齢化社会言うて、1人のサラリーマンが3人の老人を養わなあかんようになるていいますやん。それで言うと、そのうち1人のサラリーマンが3人のクリエイターを食わす世の中が来ますで。クリエイター化社会。これは恐ろしい。なんや国会でオッサンが眉間にシワ寄せて論議しとるわけですわ。どないしたらええんや言うて。老人、ホームレス、クリエイターがこれからの大問題ですわ。 A:養ってもらっとんかい、クリエイターは。なんや情けない話やのう。 S:まあ、そういう、これからうじゃうじゃ増え続けるであろう自称クリエイターさんのことはね、ホンマはどうでもええんやけどね。 A:なんや、どうでもええんかい。すなよ、そんなら。 S:いや、そう簡単に割り切れんところがクリエイター問題のややこしいところですがな。それでも、確かに「なんやクリエイトしてるとしかいいようがない」て人がおるわけやないですか。そこには興味あるでしょ。どうして人間やめたんか。 A:人間やめたんかい。そんで、そのへん歩いとんかい。何者やねん、クリエイターっちゅうんは。 S:そうですねん、何者かわからしませんねん。それやったらもういっそ精神分析みたいなもんにでもかけてみたらどうか思て。前から思てるんやけど、言葉に置き換えられる程度のことは置き換えたらええんやから。言葉の側も、言葉を拒否してるような人種のほうにもっとググッとにじり寄らんと。これは人文科学のアクティビティにとっても必要なことやと思いますねん。 A:なんや人文科学のアクティビティて。こいつ、ホンマにわけわからんことしか言えへんのう。で、そのクリエイティブな人んとこに精神分析のセンセーとか連れてくんかい。 S:そうそう。別に精神分析のセンセーやなくてもええんやけど、アートやら表現やらいうもんを無条件に「素晴らしいもんや」言うて受け入れてしもてる人はあきません。アートやら表現やらをビョーキとして考えられる人やないと。 A:ムチャクチャ言うなよ。嫌がられるやろ、そんなもん。ケンカ売ってるとしか思われへんがな。 S:ケンカなんか売ってへんて。モノつくってる人間なんかだいたいどっかビョーキやねんから、その中でキラリと光る仕事してる人はビョーキの中のビョーキ、ビョーキ王っちゅうことですよ。 A:なんやビョーキ王て。そんなこと言われて喜ぶヤツおるんか。 S:いや、でもそこまで行ってなんぼでしょう、この仕事は。インタビューとかて人の言動の奥へ奥へと辿っていって、その奥に何があるのかをギリギリまで追いつめていくっちゅう、本来はそういうもんやと思いますよ。それが半端やからおもろないんですよ、普通のインタビューは。もっと徹底的に追いつめんと。もちろん、こっちも猛勉強せなあきませんで。どういう表現がどの時代に出て、それはどっから来たんかとか、そういうことがちゃんとわかってないと追いつめられへん。 A:それはそうやろけど、なんのためにそこまで追いつめなあかんのや。 S:追いつめな先にすすみませんやろ。世の中がここまで煮詰まっとんのやから、もっといろんなことはっきりさせたほうがええちゅうことですわ。裏で「あんな表現は…」とか「あんなデザインは…」とか言うててもあかんのですわ。なあ、Nさん、もっとはっきりいろんなこと聞いてみたないか? N:別に聞きたないなあ。そんなん何の意味もないやろ。 S:いや、あるて。アンタ、自分のやってることに自信あるんやったら、何言われても関係ないやろ。逆に分析されて根っこが言い当てられる程度のことしかやってないんやったら方向変えたほうがええっちゅうことにならへんか? わかってやってることとわからんでやってることがあるんやったらわかったほうがええんとちゃうのん? N:いや、どうかなあ。わからんでええんちゃうかなあ。 S:音楽かて映像かて先へ先へとすすんでる人間はそら勉強してまっせ。引用するにしてもリスペクトっちゅうもんがあるやろ。グラフィックだけやと思うで、過去のもんをパクっといてセンスや直感や言うてんのは。 N:それでイケテルんやったらそれでええやないか。 S:さあ、イケテんのかな、ホンマに。グラフィックはすぐ「イマっぽい」スタイルっちゅうもんを蔓延させるわな。しかし、「今」っちゅうのはスタイルを脱する動きのことやろ。これはどういうこっちゃねん。つまりは思考が停止してるっちゅうことやないんか。 N:そうや。思考を停止させるんや。うっとおしい思考をな。それはむしろグラフィックの本質やろ。 S:なるほどな。しかし、それは音楽かてそうやろ。でもな、思考停止に陥ってる人間のつくった音楽は、人を古い思考に繋ぎ止めてると思うで。思考し続けてる人間だけが、うっとおしい思考から人を自由にするもんや思うけどな。 N:さあ、それはどやろな。 S:ほな、アンタ、近田春夫さんとかどう思う? N:おもろい思うよ。 S:なんでデザインにはああいう人おらんのやろ。 N:さあ、なんでやろ。デザインが消費の対象にはなってへんからとちゃうか? デザインて独立してへんやん。一種のサービスみたいなもんやから。 S:そこや。でも、これからは変わるで。デザインそのものが消費の対象になる。もうそうなりつつあるやろ。そやから、これからは絶対必要になってくるんや。近田春夫的な思考が。 |
1999/03/30 |
なんか、様々なるリアクションを総合して考えるに、前回のDIARYは大失敗っつーか、かなりの人が引いてしまったようだな。まあ、DIARYに失敗も成功もないような気もするけど。 ところで、昨日、岡本太郎さんの「今日の芸術」という文庫本を買って読んだんだが、どこかへ落としてしまったようで、すでに手元にはない。なので、タイトルも違っているかもしれない。横尾忠則さんが、中身を読まずに前文を書いていたのが素晴らしいと思った。あと、赤瀬川原平さんが、今の若い人は岡本太郎さんのことをぎょろ目の爆発おじさんとしか思っていないかもしれないがすごく論理的な人なんだというようなことを解説に書いていた(ような気がする)。いや、僕もそう思いました。でも、僕にとっての岡本太郎さんは、ぎょろ目の爆発おじさんというよりも「美保純といっしょに楽しそうに踊っていたものすごく羨ましい人」として、記憶の中で燦然と輝いている。 「今日の芸術」を落とした後は、タワーレコードで片っ端から試聴をしまくった。端から見たら気味の悪い中年オヤジにしか見えなかったかもしれないが、ハゲてないところが玉に瑕ってとこかな。白いワイシャツが半分だけ「ズボン」から出ているようなファッションに憧れる今日この頃。でもなかなか勇気がない。意気地がないなあ。 ほほえましい日本のパンクバンドなどの歌声も耳に残ったが、名前はすべて忘れてしまった。最近は完全にボケが入ってる。試聴したもののうち、BEASTIE BOYSとBLURだけ購入した。でも、きっと買ったことを忘れてまた同じCDを買ったりするんだろう。やれやれ(と茶をすする)。 いやあ、今日はなんか日記みたいだ。 |
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