1999/05/01 |
とうとう連休に突入してしまった。連休っつっても仕事だ。それにしても「休み明けまでに仕上げろ」って仕事が多すぎないか? 「納期は5月6日。尚、当社は暦どおり休業しておりますので、連絡は携帯まで」ってどういうことだ、こら。ずーっと机に張り付いているので、書くことがない。すっごい仕事してんのに、踏み倒されたり破産宣告されたりで全然お金が入ってこない。うーん。しかし、世の中いろんなことがあるもんだのう。っつーか、オレって、もともと、そういう星のもとに生まれついてんのかな。とほほ。でもまあいいや。生きてるし。 |
1999/05/11 |
机の前に張り付き人生で、世の中の動向がよくわかりません。でも、いったん世の中の動向がわからなくなると、世の中の動向ってのはだいたいがどうでもいいっちゅーことがわかってきます。そんなワタシでも気になることはあります。誰か、ポカスカジャン情報、AKAKAGE情報を持っている人がいたら教えてください。 |
1999/05/12 |
「ストライカーは楽天家であるべきだ。試合では、常に何が起こるかわからない。相手が何をしてくるかもわからないし、自分が何をしでかすかもわからないからだ」(マイケル・オーウェン) |
1999/05/13 |
なんちゅうか、全然、日記になってないよな、ここの文章。そもそも日記って何なのかがわかってないからなんだけど。「その日にあったことを記録する」のが正統的な日記のあり方だとすると、なぜ人はそんなことをするのか。日々の暮らしを反省するため、とか。いろいろなことを忘れてしまわないように書きつけておくため、とか。しかし、何のために? わからない。佐内正史さんの写真集じゃないけど。反省なんか毎日したって、人間、そう簡単に改まったりはしませんぜ。だいたい、しょっちゅう反省してるってこと自体、なんも変わってないっちゅーことなわけだし、書きつけないと忘れてしまうようなことは書きつけたって忘れるんだから。 わからない。なかなか素敵な言葉かもしれない。高校生の頃「この問題わかるやつ手を挙げろ。誰もいねえのか。じゃあ、わかんないやつ手を挙げろ。誰もいねえのか。わかるのかわかんないのか、わかんないのか」が口癖の教師がいた。そう言いながら、問いつめるでもなく授業を続けるのだ。要するに、コミュニケーションが取れていないわけだが、その宙ぶらりんなカンジは悪くなかった。 僕らは、一生のうち、ものすごくたくさんの人間と接するが、そのすべてに意味のあるコミュニケーションを求められたら、発狂してしまうんじゃないか。そう考えると、ディスコミュニケーションってのも、まんざら悪くないものだと思う。 ジム・オルークのセーターの、肘のところには穴が空いていた。これも、なんかいいカンジ。 |
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