1999/06/08

退院した。入院の経緯については、約2週間のベッド生活で絵日記のようなものをつけていたんで、機会があったらここにでも載せようかと思っている。入院中、自分がただのバカだということがよくわかったが、結果、バカとして生きていく覚悟がますます強化されたので、今後、もっともっと邁進しようと思う。




1999/06/10

デジタローグという出版社から発売された「デジタルクリエイターになる!」という本で、なぜか紹介されることになったのだが、睡眠時間を聞かれて「3〜16時間」と答えたつもりが「3〜6時間」と掲載されてしまった。実際の僕はというと、とにかく眠ることが大好きな人間で、この本で多くの紙面を割いているデザインについての見解なんかより百倍も千倍も「よく眠ること」をこそ重要視して生きてきたので、ちょっと心外。というか、本当に言いたいことってのはなかなかうまく伝わらないのだな、としみじみ思っている次第である。確かに、忙しい時には3時間程度の睡眠でも平気だが、余裕さえあれば「いくらだって寝てみせる」くらいの気概で生きているんだがな。なにしろ、死んだばあちゃんの「寝るが極楽」という口癖こそが、座右の銘になっているのだ(ちなみに、僕は子どもの頃からずっと、この言葉を誰もが知っている有名なことわざだと思っていた)。しかしこの本の他の人の欄を見ると「3〜5時間」なんて人もいたので、驚きました。人生いろいろですな。




1999/06/11

顔面の右半分が動かなくなって以来「ちょっとだけ男前になったんでねえの」と何人かに言われた。あと、入院して以来ヒゲを剃っていないんだが、ヒゲのび放題の顔を見て「若返ったなあ」と言う人もいる。入院すると予期せぬことが起こるもんである。しかし、予定では顔面は動くようになるらしいし、ヒゲもそのうち剃るから、そうすると「また老けて変な顔に戻った」と言われるのだな。




1999/06/23

6/20。バンタンJカレッジで講演をする。あまりにも駆け足な話だったので、きっと、聞いているほうはわけがわからなかっただろうと思う。申し訳のないことをしてしまった。なんか話の流れで、デザイナーたるもの、いざとなったら使用するあらゆる書体の一文字一文字すべてを自分の手で描き起こすくらいの技能を最低限のこととして身につけなきゃダメだ、それができないって言うならさっさとやめちまえ、みたいなことも言った。それは、実際にいつも自分に対して言い聞かせていることなんだけど、ほんとはね、みんな好きにやりゃあいいんだ。

6/21。BUNKOさんが写真を見せに来てくれる。自己のスタイルというより、被写体との間に生じた、すごく生々しい関係の中からできあがった写真だと思う。BUNKOさんともっと仕事がしたいなあ。

6/22。東京スカパラダイスオーケストラの撮影。7月末発売の「コンポジット」掲載用。写真は半沢克夫さん。「半年アフリカを放浪して帰ってきたら仕事がめっきり減っちゃったよ。みんな冷たいよなあ」って、それ冷たいとか暖かいとかそういう問題じゃないと思うんだが。「でもいいんだ、ニューヨーク行くから」って言われても、なんだかよくわかりませんし。しかし、半沢さんといると、いつもほんとうに気分が晴れる。年齢とか経験とかいうものに寄りかからず、その時々の人間関係を、まっさらに、ごく自然に楽しんでいて、皆がこんなふうに、いくつになっても地位とか権威とかから自由なら、どんなにいいかと思う。




1999/06/25

Photoshopで容量の重い画像を扱っているもんで、計算時間の合間に「J-POP進化論」(佐藤良明著・平凡社新書)と「Number PLUS サッカー百年の記憶」を読んでいる。

いやあ、70年代のヨハン・クライフは今見てもめちゃくちゃかっこいいな。世界を席巻しているプレッシングフットボール/コンパクトサッカーの原形である「トータルフットボール」を生みだした男。ところが、現在の彼は、守備戦術にほとんどのエネルギーを費やし目先の勝利至上主義に陥っているサッカーの現状を憂いている。その視線の先には21世紀のサッカーがあるのだ。革命児はどこまでいっても革命児。彼が理想としているのは「攻撃的でクリエイティブなメンタリティ」であり、それは変幻自在に姿を変えていくものなのだ。クリエイティブなメンタリティ。うーん、かっこいいぞ、ヨハン・クライフ52歳。




1999/06/27

いくつかの雑誌で紹介されたせいか、最近よく、講演のようなものの依頼を受ける。どんな依頼であれ、仕事はできるだけ断らないようにしているし、それが「ものをつくること」でなくても、過去のなにがしかを評価して声をかけてくれているのだろうからと、なんとか時間をつくって応じてきた。でも、やっぱ、向いてないかも。人前で話をするのは。話をするより、人の話を聞くほうが好きだし。

ある人から「インタビューとか読んでも、デザインの勉強なんかしないで土方やってたとか、漁師のおっさんと酒飲んでたとか、デザイナー目指してる人間には全然参考になんない話ばっかじゃん」って笑われた。だって、いまだにデザイナーって嫌いだもん。デザインは嫌いじゃないけど。




1999/06/30

またしても、あまりにも長いPhotoshopの計算時間の合間に読書。机の上に並んでいるのは、リリー・フランキー「美女と野球」、近田春夫「考えるヒット2」、ホルスト・ガイヤー「馬鹿について」、小関智弘「町工場・スーパーなものづくり」、加藤典洋「可能性としての戦後以後」、中里介山「大菩薩峠1」など。脈絡もなければ、デザインするのには(たぶん)何の役にもたたない本ばっか。でも、本なんかもともと役にたつとかたたないとかそういうもんじゃないから。

いや、いかんな、こういう場所にこういうことを書いては。僕だって毎年正月になれば、こういう投げやりな態度を悔い改め、人様のお役にたてる立派なデザイナーとして生きていくために自分はどうあるべきかと考えたりもするのである。バウハウスだのグリットデザインだのの理論についてもしっかり学び直そうとか、グラフィック満載のビジュアル本にももっとたくさん目を通そうとか、デザインで成功された先生方のお言葉などが載った本も読んでみようとか、そういうことも思ってはきたのである。

思ってはきたんだけど。ダメでした。すんません。来年の正月が来たらまた思い直すことにします。




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