1999/11/06 |
つけっぱなしのTVから流れてきたBRAHMANのarrival timeのPVが気になってしかたがない。決してこちらに目線を合わさず、けれど思い詰めたように一点を凝視しながら歌っている。言葉を噛みしめて切々と歌っているのに、肝心の歌詞がほとんど聞き取れない。ストレートにメッセージを伝えようとする歌、あるいはまたその逆に決して言葉に頼るまいとする楽曲は世の中にたくさんあるわけだけれど、そのどちらでもない。言葉に比重を置いているのに、それが届かないようにできているというか。意識的にそうしているのかただそうなってしまっているのかわからないが、これはちょっと珍しいつくりなんじゃないか。最近の歌には、社会性を帯びた意味が付着しないようにわざと感覚的な言葉を選んでいるものも多い。ただ、それはそれで言葉を届けたうえで感覚的な共感を呼ぼうとしているわけだ。が、arrival timeはそういうふうにはなっていない。わずかに聞き取れる「言葉に詰まる」「遠く離れてく」といった歌詞は、ある意味古典的な、使い古された言葉なのに、その後が追えないのである。すると、内容をすっとばして、想いの塊だけが届けられてしまったみたいに、どう反応していいかわからなくなる。いらだちながらも何がどう気に喰わないのかまったく言葉にできずに、八方塞がりだった10代〜20代の頃の心象が思い起こされるばかりだ。困ったな。しかたがないのでレコード屋に向かい、CDを購入する。 ジム・オルーク、ボアダムス、アカカゲ、YMOリミックスも購入する。 |
1999/11/18 |
実はここのところちょっとばかり自分のデザインに行き詰まりを感じていたのだが、鉛筆を握り、徹底して手を動かして、様々な言語の様々な文字をいじり倒しているうちに、突然ものすごく視界が開けてきた。僕らはよく洋風VS和風とかいう区分けでものを考える。が、洋風のほうがカッコイイとか和風のほうが生活に根ざしているからいいとか、そういうことを口にしている時、思考はただ停滞している。では、なぜ僕らはこうも簡単に停滞を選んでしまうのか。それは、そいつが気持ちいいことだからだろう。停滞はそこそこ気持ちいい。気持ちいいことを否定する気は微塵もないので、僕自身ここには浸れるだけ浸ってきた。まだまだ浸れるだけ、徹底的に他の誰よりも浸りきりたいとすら思っている。しかし、あまり長く浸っていると、ちょっとばかり気持ち悪くもなってくるし、もっと全然違う風景を目にしたくもなってくる。こんな対立図式はたかだかここ100年程度の短いスパンで形成されてきたものだし、じきに解消していくことは間違いない。ただ、どちらかを選びどちらかを否定する、ということでは何も変わらない。これらをとにかく混ぜ合わせ、関係そのものを変えていくこと。それ以外に、この気持ち悪さから脱する道はない。どちらかに加担して生き延びているデザイナーは多いが、というか、ほとんどのデザイナーはそういう道を選んでいるように見えるが、であれば、僕らは、最終的に、デザイナーという存在そのものを消し去ってしまうような場所を目指すしかない。僕らは、もっともっと自由な場所に移動したい。ただそれだけの話なのだ。まだまだ時間は必要だが、大丈夫。必ず、風景は変わる。 |
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